年間主日・A年

年間第24主日・A年(2020.9.13)

「神の無償の愛に生かされて」 隣人を愛しなさい(レビ記19.18参照) 早速、今日の第一朗読ですが、旧約聖書の知恵文学に属するシラ書の27章と28章からの抜粋であります。それは、紀元前190年頃、シラの子イエススが、ヘブライ語で、書いた文書であります。…

年間第23主日「被造物を大切にする世界祈願日」A年(2020.9.6)

「すべてのいのちを守るために」 教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ:ともに暮らす家を大切に』の叫び 丁度、五年前の2015年5月24日の聖霊降臨の祭日に教皇フランシスコは、全世界に向けて回勅『ラウダート・シ:ともに暮らす家を大切に』を発布されま…

年間第21主日・A年(2020.8.23)

「派遣の教会を育てる」 旅する神の民 今日の聖書朗読から、「今日における教会の使命」というテーマを設定することが出来るのではないでしょうか。 では、早速、旧約聖書を紐(ひも)どいて、教会の元型と考えられる「神の民」について、振り返って見ましょう…

年間第20主日・A年(2020.8.16)

「貧しい人は福音を告げ知らされている」 全ての民の祈りの家 早速、今日の第一朗読ですが、便宜上第三イザヤと呼ばれる無名の預言者が編集したと考えられるイザヤ書56章の抜粋であります。この預言者が活躍した時代背景は、捕囚時代が終わり故国に帰ること…

平和を求めるミサ(2020.8.9)

「平和を実現する人は幸いである」 平和旬間の由来 今から丁度39年前、時の教皇ヨハネ・パウロ二世が初めて日本を訪問され、平和の巡礼者としての大役(たいやく)を見事に果たされました。1981年2月25日、広島平和記念公園で、教皇ヨハネ・パウロ二世は、九か…

年間第18主日・A年(2020.8.2)

「聞き従って魂に力を得よ」 わたしに聞き従えば魂は豊かさを楽しむ 早速、今日の第一朗読ですが、便宜上第二イザヤと呼ばれるイザヤ書55章の冒頭の抜粋であります。恐らく、預言者イザヤの弟子の一人の、捕囚時代の終わり頃に捕囚民に向かって間もなく故国…

年間第15主日・A年(2020.7.12)

「みことばの力」 聴き従って魂にいのちを得よ 今日の第一朗読ですが、おそらく紀元前6世紀ごろ、預言者イザヤの弟子の一人が、イスラエルが試練の捕囚時代を終え、ようやく故国に帰ることが出来ると言う希望と慰めに満ちた預言を編集したイザヤ預言書55章か…

年間第14主日・A年(2020.7.5)

「イエスの軛(くびき)を担う」 高ぶることなくろばに乗って来る 今日の第一朗読ですが、第二ゼカリアと呼ばれる預言書の9章からの抜粋であります。その時代背景は、イスラエルが、50年以上にわたる捕囚からようやく解放され、故国に戻り、早速、エルサレムの…

年間第12主日・A年(2020.6.21)

「すべてのキリスト者は福音宣教者である」 預言者の苦悩と神への信頼 早速、今日の第一朗読ですが、紀元前7世紀末から6世紀初めにかけてユダ王国の都(みやこ)エルサレムで、活躍した預言者エレミヤが体験した迫害の苦しみと神への揺るぎない信頼を、次のよ…

キリストの聖体の祭日・A年(2020.6.14)

「私の肉を食べ血を飲む者は永遠の命を得る」 祭日の由来 初めに、今日の祭日の由来を、振り返ってみましょう。 聖霊降臨によってエルサレムにおいて誕生した教会は、ローマ帝国による迫害にもめげず着実に成長しました。そして、ついにローマ皇帝コンスタン…

三位一体の主日・A年(2020.6.7)

「父と子と聖霊である唯一の神を賛美する」 三位一体(さんみいったい)の唯一の神を信じる 教会は、初期の時代から、今日に至るまで一貫して、「三位一体である唯一の神」に対する揺るぎない信仰告白を実践しております。 たとえば、入信の秘跡である洗礼式に…

年間第28主日・A年(1996.10.6)【マタイ22:1-4】

ふさわしくこたえる 呼びかける神 「婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった」 王が素晴らしい婚宴を催して招くように、神は絶えず豊かな救いの恵みに与るために呼んでおられるのではないか。それに答えず無視したりいろいろな口実を考え、…

年間第27主日・A年(1996.9.29)【マタイ21:33-43】

ふさわしい実を結ぶ イエスを殺した民 「ぶどう園と農夫」のたとえにより、預言者たちの言葉を受け入れないだけでなく、最終的には神の愛するひとり子までも殺してしまうイスラエルの罪が暴かれる。主人が送ったしもべたちを袋叩きにしたり、殺したりしたと…

年間第26主日・A年(1996.9.15)【マタイ21:28-32】

柔軟に考え直す心 み旨の実現を願う 「今日。ぶどう園へ行って働きなさい」 父なる神は、毎日一人ひとりに、その日に何をすべきか、呼びかけておられるはずだ。 しかし実際には神の御声を聞かずに、自分の思いや考えで決定し、行動してはいないか。自分が働…

年間第25主日・A年(1996.9.15)【マタイ20:1-16】

神のぶどう園で働く 私たちはこの世に生を受けた限り、神からそれぞれ使命を例外なくいただいているのではないか。 「あなたたちもぶどう園へ行きなさい」と父なる神は一人ひとりを招いておられるはずだ。だから自分の考えや願望や計画ではなく、あくまでも…

年間第24主日・A年(1996.9.8)【マタイ18:21-35】

兄弟を心からゆるす 無条件・無制限に 信仰によって結ばれ、兄弟となった相手を、全面的にゆるすように主が命じられる。相手が悔い改めるならとか何回までならなどと、条件や制限をいっさいつけてはいけないのだ。 「七回どころか七の七十倍までもゆるしなさ…

年間第23主日・A年(1996.9.1)【マタイ18:15-20】

主に育てられる共同体 兄弟的交わり 「あなた方の師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ」(マタイ23:8) 主によって私たちは皆兄弟になった。信仰共同体はキリストを中心とした家族なのだ。 「私の兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」(ルカ…

年間第22主日・A年(1996.8.25)【マタイ16:21-27】

自分を捨て、主に従う 主の十字架の道 主は受難、十字架上の死と復活が御父によって決定されているご自分の歩まれる道であることを弟子たちに予告なさる。当時のユダヤ人そして弟子たちにとっても、全く受け入れがたい救い主の姿である。自分たちをローマ帝…

年間第21主日・A年(1996.8.18)【マタイ16:13-20】

信仰・共同体が育てられる イエスはだれなのか 私にとってイエスとはどのようなお方なのか。日々の生活において、自分の生き方や人生体験の中で、はたしてイエスに実際にお会いしているだろうか。主ご自身があらためて問われる。「あなた方は私を何者だと言…

年間第20主日・A年(1996.8.11)【マタイ15:21-28】

ご計画の変更を願う熱意 あわれんでください じぶんがどれほど神の助けを必要としている哀れな者であるか、この自覚こそが大切である。カナンの女がイエスと会えたのは苦しみの最中だった。ことが順調に運んでいる時や自分の力で物事を解決できると思い込ん…

年間第19主日・A年(1996.8.4)【マタイ14:22-339】

苦難のあらしを乗り切る 苦悩の中の主 「逆風のために波に悩まされていた」弟子たちのところに、主が来てくださった。 マタイの共同体が迫害の嵐に見舞われていたので、どうしても主の助けが必要だった。 私たちも苦悩の最中に主にお会いできるのだろうか。…

年間第18主日・A年(1996.7.28)【マタイ14:13-21】

裂かれるパン・イエス 深くあわれむ 「大勢の群衆を見て深くあわれみ、その中の病人を癒やされた」 イエスを行動に駆り立てるのはあわれみである。それは内蔵で感じるような強烈な思いなので、かならず結果を生み出す。この神のあわれみの実現こそが、神の国…

年間第17主日・A年(1996.7.21)【マタイ13:44-52】

天の国を見つける 隠されている支配 「なによりまず神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33) 私たちの人生は神の愛といつくしみの支配の完成のために生きるよう、一回限り与えられている。全面的に父なる神に信頼して日々み旨と神の義が実現されるため…

年間第16主日・A年(1996.7.14)【マタイ13:24-43】

天国の完成を待ち望む 神のあわれみと忍耐 「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」 今は裁きの時ではなくまさにあわれみの時である。だから神は悪を即座に滅ぼすことはなさらない。神がなさる業のテンポは私たちの時間感覚では悟り得ない。 「…

年間第15主日・A年(1996.7.7)【マタイ13;1-23】

豊かな実を結ぶ 聞いているから幸い 信仰の恵みのよって、神のみ業の神秘を悟らせていただける。 「あなた方の目は見ているから幸いだ」 多くの預言者や正しい人たちですら、見ること聞くことができなかったものを、見たり聞いたりできる幸せは何か。 まずひ…

年間第14主日・A年(1996.6.30)【マタイ11:25-30】

へりくだる者の幸せ 主が喜び賛美する イエスの御父を賛美する祈りは、救いの神秘を教えてくださる。同時に主が何を喜ばれるかをも示していただける。(ルカ10:21参照) 神のみ業は幼子のように自分を低くする者に示されることを、主はほめたたえておられる…

年間第13主日・A年(1996.6.23)【マタイ10:37-42】

主に選ばれた私たち ふさわしい弟子となる 最初の弟子たちは自分たちの方から主の弟子にしてくださいと名乗らなかった。 主が彼らをご覧になって、わたしについて来なさいと一方的にお選びになったのだ。(マルコ1:16-20参照)だからイエスははっきりと言わ…

年間第12主日・A年(1996.6.16)【マタイ10:26-33】

恐れずにみ言葉を語れ 迫害を恐れるな マタイの共同体もすでにユダヤ人から迫害を受けていたので「恐れてはならない」という主の励ましを必要としていたのだろう。神の業はかならず明らかにされていくので、たとえ神に逆らう勢力のさまざまな反対や妨害があ…

年間第11主日・A年(1996.6.9)【マタイ9:36-10.8】

収穫は多いが働き手が少ない あわれみの連帯 「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深くあわれまれた」旧約から人は羊にたとえられてきたが、神が羊飼いとして養い守り育ててくださるのだ(エゼキエル34:11-22参照) 今…

キリストの聖体・A年(1996.6.9)【ヨハネ6:51-58】

天からくだってきた生きたパン み言葉を食べる 「人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命記8:3)ことを学んだのが、40年間の荒野でも信仰の旅だった。だから、み言葉は聴くだけでなく、しっかり食べて自分の血とし肉としなければならない。 …