平和を求めるミサ(2020.8.9)

「平和を実現する人は幸いである」

 

平和旬間の由来

 今から丁度39年前、時の教皇ヨハネ・パウロ二世が初めて日本を訪問され、平和の巡礼者としての大役(たいやく)を見事に果たされました。1981年2月25日、広島平和記念公園で、教皇ヨハネ・パウロ二世は、九か国語で、全世界に向けて「平和アピール」を、次のように力強く訴えられました。

 「本日、わたしは深い気持ちに駆られ、『平和の巡礼者』として、この地に参り、非常に感動を覚えています。わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信をもっているからです。・・・この広島での出来事の中から、『戦争に反対する新たな世界的な意識』が生まれました。そして平和への努力へ向けて新たな決意がなされました。・・・」と。

 この迫力ある平和アピールを真摯(しんし)に受け止めた日本司教団は、1982年5月の定例総会で、8月6日から15日までを「日本カトリック平和旬間」とすることに決定しました。

 実は、昨年、訪日された教皇フランシスコは、11月24日、同じ広島平和記念公園で開催された「平和のための集い」で、核兵器の廃絶を、次のように宣言なさいました。

 「戦争のために原子力を使用することは、現代においては、これまで以上に犯罪とされます。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家(地球)の未来におけるあらゆる可能性に反する犯罪です。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反します。」と。

 実は、教皇フランシスコは、その同じ日の午前中に長崎・爆心地公園で「核兵器についてのメッセージ」を、次のように切々と送られました。

 「この地、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結果をもたらすことの証人であるこの町では、軍備拡張競争に反対する声を上げる努力が常に必要です。・・・核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数えきれないほどの人が熱望していることです。・・・核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。・・・『軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真(まこと)の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります。』」と

 

核兵器の完全廃絶にむけて

 このメッセージに応えるために、すでに70年以上にわたって核兵器の完全廃絶に向けて国際レヴェルで取り組んでおられる広島の被爆者サーロー節子さんの精力的な活動を紹介いたします。

 実は、この活動の発端になったのは、1954年3月に太平洋のビキニ環礁(かんしょう)で、アメリカが水爆実験を実施し、マーシャル諸島民236人を被爆させたときです、危険水域の外で操業していた日本の第五福竜丸の全船員23人が被爆しました。その事件以来、「死の灰」という言葉によって核実験反対運動を世界中に巻き起こすことになったのであります。

 日本でも、当然、水爆実験への非難の嵐が吹き荒れました。そこで、東京・杉並区では、主婦が水爆禁止のための署名活動を始めたのであります。この運動は全国に広がり、次の年にはなんと日本の人口のほぼ四分の一にあたる3200万人もの驚異的な数の署名が集まりました。

 ですから、13歳のとき広島で被爆した節子さんは、カナダ人と結婚し、カナダに移住してから、まず、原爆証言と反核運動に力を注ぎ始めました。

 やがて、彼女の精力的な活動は、「核兵器廃絶国際キャンペーンICAN」に合流し、まさに国際的な活動にまで漕ぎつけたのであります。

 そして、ついにこのキャンペーンには、2017年のノーベル平和賞が授与されました。

 2017年12月10日、オスロ―での受賞式で、節子さんは次のような感動的な演説をなさいました。

「わたしは広島と長崎の原爆投下から奇跡的な偶然によって生き延びた被爆者の一人として語りたいと思います。70年以上にわたって、わたしたち被爆者は核兵器の完全廃絶に取り組んで来ました。世界中で、この恐ろしい兵器の生産や実験による被害者たちと団結してきました。・・・・

 わたしたちは被害者であることに甘んじてはいませんでした。世界が炎に包まれて終末を迎えることや、汚染にむしばまれて行くことに対して、見過ごすことを拒んだのです。大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の闇へと無謀にも引きずりこもうとするのを、恐怖のなかで座視(ざし)することを拒んだのです。わたしたちは立ち上がったのです。生き抜いてきた体験を語り始めたのです。核兵器と人類は共存できないと。

 今日(きょう)、この会場の皆さんに、広島と長崎で命を奪われた人間の存在を感じてもらいたいと思います。わたしたちの頭上に、周りに、二十数万という大勢の人間の霊を感じてほしい。一人ひとりに名前があり、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。・・・

 世界中のすべての国の大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久に無くしてください。

 13歳の少女だった私は、煙が上がる瓦礫の下で生き埋めになりながら、力の限り、光に向って前に進みました。そして生き延びました。今のわたしたちにとっての光は、核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さん、並びに世界中の皆さんに向けて、広島の瓦礫の下で聞いた言葉を繰り返したいと思います。

『諦めるな。前に進め。光が見えるだろう。それに向かって這っていけ。』」と。

 

真理と正義をもって平和を築く

 ここで、もう一度、教皇フランシスコの広島でのメッセージに戻りましょう。

 教皇フランシスコは、平和の構築について次のように強調しておられます。

 「実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなくてはなりません。・・・真(まこと)の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、『平和は単に戦争がないことではなく、・・・絶えず建設されるべきもの』(『現代世界憲章』78項参照)だからです。それは、正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家(地球)の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

 思い出し、共に歩み、守る、この三つは倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、より一層強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる道を切り拓く力があります。・・・

 神に向け、すべての善意の人に向けて、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、心から声を合わせて叫びましょう。戦争は二度と繰り返しません。・・・わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。・・・

 主よ、急いで来てください。破壊が溢れた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望が溢れますように。」と。

 わたしたちは、今日の第一朗読の預言者イザヤの平和への預言が必ず実現することを信じています。ですから平和建設のための祈りに支えられ具体的な行動に移れるように共に祈りましょう。

 ちなみに、使徒パウロは、世界平和の土台は、キリストによって構築されることを、次のように宣言しております。

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、・・・こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げで平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2.14-16参照)と。

 

 

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