聖母被昇天の祭日(2020.8.15)

「被昇天の聖母からの呼び掛け」

 聖母被昇天祭の由来

 まず、初めに今日の祭日の由来を、改めて簡単にふり返ってみましょう。

 実は、聖母の被昇天つまり、聖母マリアは、この地上で最後の息を引き取られた直後、魂だけでなく体も共に天に挙げられたという信仰は、すでに古代教会の時代から人々の間に語り継がれていたと言うのであります。

 特に、5世紀から6世紀にかけて、次のような伝説がまさに民間信仰として芽生えていたのであります。

 すなわち、聖母マリアが、60歳になられたときのことです。なんと天使が現れ、実は、聖母が亡くなられて後(のち)、納められる棺の前に飾る棕櫚(しゅろ)の枝を、すでに天国のキリストのもとへ運んだので、御子は聖母が来られるのを天国で待っておられると、告げたと言うのであります。

 ですから、その後(あと)、まさに不思議な力によって世界中から集められた使徒たちと弟子たちに囲まれながら、マリアは静かに息を引き取られたのですが、その時です。大勢の天使、聖人たちを従えてイエスが現れ、聖母の魂を受け取り、天の大群の大合唱の中、再び天に昇られる時に、実は、マリアの御体も一緒に天に昇(あげ)られたと、信じるようになった民間信仰が、教会の中になんと20世紀に至るまで、面々と続いていたのであります。

 そして、ついに1950年11月1日に、時の教皇ピオ十二世は、次のような宣言を荘厳になさいました。

 「我々の主イエス・キリストの権威と、使徒聖ペトロと聖パウロの権威、およびわたしの権威によって、無原罪の神の母、終生乙女(おとめ)であるマリアが、その地上での生涯を終えた後(のち)、体と魂と共に天の栄光に昇(あげ)られたことを、神によって啓示された真理であると宣言し、公(おおやけ)に広め、決定する。」と。

 ちなみに、今日の祭日の典礼における歴史を振り返るならば、すでに5世紀には『エルサレム朗読聖書』に、本日の祭日の説明がありました。しかも、この日は、殉教者記念として(ナターレ誕生日)祝うというのであります。なぜなら、神の母の「帰天」は、同時に永遠のいのちへの誕生だからであります。一方、ローマでは、8月15日の「聖母の帰天の祝日」は、七世紀中期には守られていました。

 そして、20世紀になって、特に、教皇ピオ十二世による聖母の被昇天の教義の宣言の後(あと)、この祝日の重要性が増し、新ミサ典書では、「祭日」となりました。

 

被昇天の黙示文学的すがた

   では、ここで、今日の聖書朗読箇所を、振り返ってみましょう。

 まず、第一朗読の『ヨハネの黙示録』ですが、その11章と12章の抜粋であります。実は、この書物は、恐らく、西暦90年代の後半、使徒ヨハネの弟子の一人が、編集したと考えられます。しかも、文学類型は、「黙示文学」に属します。内容はローマ皇帝ドミティアヌスによって迫害されているキリスト教徒に送られた「希望と慰めのメッセージ」と言えましょう。

 ですから、天地創造によって始まった人類の救いの歴史は、世の終わりにおける新しい天と地の出現によって完成するというまさに壮大な救いのドラマにほかなりません。

 そこで、次のようないとも荘厳な神秘的出来事のビジョン(幻)が語られます。「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女はみごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。」と。

 ですから、教会は伝統的にこの女性こそ、メシアを産む教会とその母であるマリアの黙示文学的なお姿と、理解してきました。しかも、ここで言われている「十二の星」は、旧約で語られる十二部族と新約の十二使徒たちのシンボルではないでしょうか。

 そして、次のような幻想的なビジョンのいとも荘厳な描写が続きます。

 「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のような赤い大きな竜である。これには、七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。・・・

 わたしは、天で大きな声が次のように言うのを聞いた。

 『今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。

 神のメシアの権威が現れた。』」と。

 ちなみに、この竜の色が赤いのは、怒りと殺意とを示す色なのであります。とにかく、この赤い竜こそが、12節で言われている「悪魔とかサタンと呼ばれる年を経た蛇」に他なりません。また、七つの頭に「冠」をかぶっているのは、七人のローマ皇帝を暗示していると言えましょう。

 ですから、この竜が敗北し、天上には賛歌が大いに響きわたるのであります。なぜなら、神の軍勢を率いる大天使ミカエルが、この竜に闘いを挑み、竜か敗れて(やぶ)地上に投げ落とされるからであります。

 これこそ、神の救いの完成を、まさに先取りした聖母マリアこそ、魂と体も一緒に天の栄光にあげられたと信じていた根強い民間信仰が確かに正統なことであることを裏付ける黙示文学的あかしではないでしょうか。

 

聖母の取り次ぎを願い平和実現のために働く日本の教会

   ところで、我が国に初めて福音を伝えた偉大な宣教師聖フランシスコ・ザビエル一行が、鹿児島に上陸したのが、1949年8月15日であり、また1945年8月15日、終戦を告げる昭和天皇の玉音放送を涙ながらに聴いたのも75年前の今日でした。

 そこで、敗戦当時の日本人のありのままの姿を描いた『敗北を抱きしめて』という歴史学者のジョン・ダウワーの著作に、皇太子の書初めが掲載されております。そこに、著者は、次のような解説をつけております。「敗戦後の日本で最も人気のあった言葉は、間違いなく『平和国家建設』である。学校の生徒たちは当然のように、習字の時間に、この言葉を練習した。」と。

 とにかく、当時、我々日本人は誰もがまことの平和に飢えていたと言えましょう。ですから、昭和天皇は、1945年9月4日の降伏文書の直後の帝国議会での開院式では、「平和国家を確立して人類の文化に寄与せんことを冀(こいねが)う」と、また、人間宣言においても「官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かな文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本を建設すべし」と、確かに「平和主義」を強調されたのであります。ところが、今日の日本においては、この平和主義を根幹から変えてまさに戦争のできる国になろうと、平和憲法を変えてしまおうという極めて危険な現政権に振り回されている現状ではないでしょうか。

 本日、75回目の終戦記念日を迎えた日本の教会は、特に被昇天の聖母の取り次ぎを願いながら、ひたすら世界平和実現のために働く決意を新にすることが出来るよう共に祈りましょう。

 

【A4サイズ(Word形式)にダウンロードできます↓】

被昇天の聖母からの呼び掛け「聖母被昇天の祭日」(2020.8.15).pdf - Google ドライブ