年間第21主日・A年(2020.8.23)

「派遣の教会を育てる」

旅する神の民

 今日の聖書朗読から、「今日における教会の使命」というテーマを設定することが出来るのではないでしょうか。

 では、早速、旧約聖書を紐(ひも)どいて、教会の元型と考えられる「神の民」について、振り返って見ましょう。

 それは、蜜と乳の流れる約束の地に入るまでの、神の民の荒れ野での40年に亘る試練の旅で形成されたイスラエルの信仰共同体にほかなりません。

 それは、民の指導者モーセは、ヨルダン川の向こう岸に約束の地を望みながら、最後の説教を切々と語った、次のような場面であります。

 まず、その民を形成する源泉であるみことば教育を、それぞれの家庭において、子どもたちに対して実践すべきことを、次のように強調しております。

 「これは、あなたたちの神、主があなたたちに教えよと命じられた戒めと法であり、あなたたちが渡って行って得る土地で行うべきもの。・・・

 聞け、イスラエルよ。われらの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力をつくして、あなたたちの神、主を愛しなさい。

 今日(きょう)わたしが命じるこれらのことばを心に留め、子どもたちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。」(申命記6.1-7)と。

 コロナ禍のために、教会活動が制限されている今日(こんにち)だけでなく、常に、子どもたちと若い世代への信仰教育は、まず、それぞれの家庭で実施されなければなりません。

 ですから、モーセは、神の民が、荒れ野での厳しい試練を耐え抜くことができたのは、イスラエルの民が、みことばによって養われ、育てられたことを、次のように総括しております。

 「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわちご自分の戒めを守るかどうかを知ろうとなされた。主はあなたを飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」(同上8.2-3)と。

 

霊的な家を建てる

   次に、今日の福音で、イエスが、ペトロに向かって、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」と、宣言なさったことが報告されております。

 実は、ここで言われている、「建てる」とは、建物を建てるのではなく、まさに霊的な家、つまり教会共同体を誕生させることであることは、ペトロの手紙において、次のように確認できます。

 「この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。・・・

 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。」(一ペトロ2.4-9a)と。

 ですから、使徒パウロは、教会は「キリストの体」(一コリント12.27)であるので、まさに信仰共同体として教会を育てることができることを、次のように強調しております。

 「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ち溢れる豊かさになるまで成長します。・・・愛に根差して真理を語り、あらゆる面で、頭(かしら)であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合され、結び合されて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら(みずか)愛によって造り上げられていくのです。」(エフェソ4.12-16)と。

 今は、教会に集まることが、制限されておりますが、派遣されたそれぞれの場で、共同体の交わりと一致を、みことばと祈りによって深めて行くことは、出来るのではないでしょうか。

 そして、特にそれぞれの家庭が教会となれるように、信者でない家族を含めて成長できるのではないでしょうか。

 ちなみに、聖ヨハネ・パウロ二世教皇は、その使徒的勧告『家庭―愛と祈りのきずな』で次のような勧告をなさっておられます。

 「キリスト者の家庭は福音を受け入れ信仰を深めるにつれ、福音を告げる共同体となります。パウロ六世のことばを再び聞きましょう。『家庭は、教会のように、福音が伝えられる場であり、さらにそこから福音が広まっていく場でもなければなりません。この使命を自覚している家庭では、家族全員が同時に、福音を受け入れながら一方では福音宣教しているのです。親はこどもに福音を伝えるだけでなく、子どもからも生活に深くかかわった福音を受け取ることができます。このような家庭は、近所の家庭にとって福音宣教者になります。』」(52項)と。

 

福音を宣(の)べ伝える

 最後に改めて教会の遂行すべき使命について確認してみましょう。

 まず、福音記者マルコは、その福音書をしめくくるに当たって次のような主の宣教命令を伝えております。

 「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じで洗礼を受ける者は救われるが、信じないものは滅びの宣告を受ける。・・・

 主イエスは、弟子たちに話した後(のち)、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それの伴う徴(しるし)によってはっきりとお示しになった。」(マルコ16.15-20)と。

 たとえ教会に集うことが制限されていようとも、わたしたちは、まさに派遣されたそれぞれの家庭、学校、職場そして地域社会において福音を告げ知らせる使命を忠実に果たすことが出来るのではないでしょうか。

 締めくくるに当たって、イエスが弟子たちを、次のように派遣なさったことを確認してみましょう。

 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これが、わたしの命令である。」(ヨハネ15.16-17)と。

 今週もまた、派遣されるそれぞれの家庭、学校、職場そして地域社会において福音を告げ知らせることが出来るよう共に祈りましょう。

 

 

※関連記事(1996カトリック新聞に連載・佐々木博神父様の「主日の福音」より)

https://shujitsu-no-fukuin.hatenablog.com/entry/2019/08/18/000000

 

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