年間第14主日・A年(1996.6.30)【マタイ11:25-30】

へりくだる者の幸せ

 

主が喜び賛美する

 イエスの御父を賛美する祈りは、救いの神秘を教えてくださる。同時に主が何を喜ばれるかをも示していただける。(ルカ10:21参照)

 神のみ業は幼子のように自分を低くする者に示されることを、主はほめたたえておられる。神の国の神秘は、この世の知者や賢者にはむしろ隠されている。だから「人間は栄華のうちに悟りを得ることはない」(詩編49:21)

 さらにイエスは断言なさる。「心を入れ替えてこどものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、こどものようになる人が、天の国で一番偉いのだ」(マタイ18:4)

 またマリアの賛歌にも歌われているように、神の解放の業は抑圧されている側に視点を移さなければ悟れないことだ。(ルカ1:51-53参照)

 

御父を知る

 自分を低くし神の前にへりくだるなら、ますます主に近づける。主ご自身が「柔和で謙遜なお方」だから。それだけでなく実に主から御父を示していただける。

「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなた方を知っているなら、私の父をも知ることになる。今から、あなた方は父を知る。いや既に父を見ている」(ヨハネ14:6-7)

 イエスにお会いすることが同時に御父にお会いすることである。この素晴らしい恵みをどこまで実感しているだろうか。弟子たちもこのことを理解していなかったようだ。

「私は自分勝手に語ったのではなく、私をお遣わしになった父が、私の言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである」(ヨハネ12:49)まさに主のみ言葉は御父のみ言葉なのだ。主は御父と深く結ばれているので、御父は常に主を通して働いておられる。

 

主のくびきを負う

 解放者であられる主は、いつの時代においても虐げられ抑圧されている人たちを救ってくださる。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」

同時に主は新しい掟(おきて)をくびきとして負わせられる。

「あなた方に新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13-34)

 このくびきは負いやすいはずだ。主が聖霊をくださり、まさに愛する力を与え続けてくださるからである。いやし主であられる主は、ご自分の傷によって私たちの傷をいやしてくれるので(1ペトロ2:24参照)互いに愛し合えるのである。柔和で謙遜な主に倣い愛を生きるなら、ますます救いの神秘を悟らせていただけるので、御父を見せてもらえる。これこそ、へりくだる者がもらう幸せなのだ。

 

 ※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。