年間第17主日・A年(1996.7.21)【マタイ13:44-52】

天の国を見つける

隠されている支配

「なによりまず神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)

 私たちの人生は神の愛といつくしみの支配の完成のために生きるよう、一回限り与えられている。全面的に父なる神に信頼して日々み旨と神の義が実現されるために、自分をささげていくことが必要である。

 この神の支配は「畑に宝が隠されている」ようで、注意して捜さないとなかなか気づかない。だから、まず自分の思いや考えを捨てて、徹底して神により頼む心を持つことが必要だ。

「心の貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである」(マタイ5:3)

 神の支配を受け入れる基本条件は、心の貧しさ、つまり自分を無にして全面的に神に信頼することである。自分の心を空にした時、神の支配が見えてくるだけでなく、神の愛を受け入れるためのもっともふさわしい自分になれるからである。

 

探し求める

「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる」(マタイ7:7)

 神の支配は隠されているので、真剣に探し続けなければならない。

「商人が良い真珠を探している」ように、日々神の自分に対する促し、勧め、命令、そして語りかけをしっかり聞き分けなければならない。気をつけないと、つい自分中心の思いや考えに流されてしまい、結果神をないがしろにしてしまう。特に日々の祈りによって神に直接聞くことが肝心である。マリアのように(ルカ1:26-38参照)

 神の声を聞き分け、聞きただし、そして聞き従うことによって神の支配に入るのである。

 

得るために捨てる

「あなた方は、神と富とに仕えることはできない」(マタイ6:24)

 神に従うために絶えず具体的な選択をしなければならない。神の支配に従うのか、神以外のものに従うのか決断を迫られるのである。二股をかけるわけにはいかない。

 宝が隠されている畑を得るために「持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」ように、高価な真珠を買うために「持ち物をすっかり売り払い、それを買う」ように、神以外のものを退け、神のみ従う道を選び続けなければならない。

 それができるのはパウロのように神を見せてくれる主に従うことの幸せに、自分の心が魅了されていなければならない。

「私の主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストゆえに、私はすべてを失いましたが、それを塵(ちり)芥(あくた)とみなしています」(フィリピ3:8)

 

※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。