天国の完成を待ち望む
神のあわれみと忍耐
「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」
今は裁きの時ではなくまさにあわれみの時である。だから神は悪を即座に滅ぼすことはなさらない。神がなさる業のテンポは私たちの時間感覚では悟り得ない。
「主のもとでは、一日が千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなた方のために忍耐しておられるのです」(2ペトロ3:8-9)
だから今はイエスを通して示される神のあわれみに、全面的に信頼するべきである。(マタイ9:12-13参照)
天の国の完成
小さなからし種やわずかなパン種のように、この地上に始まった神の国はいかにも小さく目立たないものであるが、完成時にはきわめて偉大なものとなる。
「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に神の国はあなた方の間にあるのだ」(ルカ17:20-21)
神の愛の支配はまず私たちのお互いのかかわり方を変えるのである。主のくださった新しい掟(おきて)を実践する中に、神の国が始まるのである。
神の国の完成は、すべてがキリストのもとに一つに集められることである。
「時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭(かしら)であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるもの地にあるものがもキリストのもとに一つにまとめられるのです」(エフェソ1:10)
刈り入れを待ち望む
良い種としてこの世界のただ中に蒔かれた私たちは、豊かな刈り入れを迎えなければならない。それは天地創造の時から用意されていた国を受け継ぐことにほかならない。
「太陽のように輝く」ための唯一の条件は、イエスの兄弟であるもっとも小さい者、つまり助けを必要としている人たちにかかわることしかない。(マタイ25:31-45参照)
私たちの救いの完成とは「あなた方の父があわれみ深いように、あなた方もあわれみ深い者となりなさい」(ルカ6:36)との主の呼びかけに、日々こたえていくことの積み重ねである。
自分中心の生き方から、苦しむ人のために自分をささげる愛の実践に絶えず切り替えていくことである。そのためにまず必要なのは、苦しむ人の痛みを感じる感性である。
ハンセン病で苦しむ方々を前にして「なぜ私たちでなくあなたが? あなたは代わってくださったのだ」と心の中で叫ばずにはおられなかった神谷美恵子さんは、女医としてご自分をまさにもっとも小さき人々にささげられた。この方こそ神の国の完成のために生きた方だ。
※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。