年間第24主日・A年(1996.9.8)【マタイ18:21-35】

兄弟を心からゆるす

無条件・無制限に

 信仰によって結ばれ、兄弟となった相手を、全面的にゆるすように主が命じられる。相手が悔い改めるならとか何回までならなどと、条件や制限をいっさいつけてはいけないのだ。

「七回どころか七の七十倍までもゆるしなさい」とはその意味である。

 主はだれに対してもゆるしが大切であることを強調なさった。

「もし人の過ちをゆるすなら、あなた方の天の父もあなた方の過ちをおゆるしになる。しかし、もし人をゆるさないなら、あなた方の過ちをおゆるしにならない」(マタイ6:14-15)

 だから自分の過ちを父にゆるしてていただくための前提として、先に人をゆるさなければならない。もし信仰の仲間である兄弟をゆるすなら、いったん失った兄弟的きずなを、回復できるのである。(マタイ18:15参照)

 イエスがもっとも大切になさるのが、この兄弟的きずなである。兄弟的交わりを確保するために、兄弟の過ちを無制限にゆるすのである。ゆるしとは罪によって破壊された兄弟的つながりを修復することにほかならない。

 ゆるし和解することによって、お互いを隔てていた壁が取り除かれ、再び一致できるのだ。

 このように兄弟をゆるせるのは、相手から受けた心の傷がイエスによっていやされるからである。(1ペトロ2:24参照)

「見よ、兄弟がむつみ合って住むのはなんとうるわしくこころよいことか」(詩編133:1)

 

天の国・兄弟的つながり

「あなた方の一人ひとりが、心から兄弟をゆるさないなら、私の天の父もあなた方と同じようになさるであろう」

 自分の仲間をゆるさない家来のたとえに示されているように、最も大切な兄弟的きずなを断ち切ってしまうなら、結局、自分自身をも兄弟的愛の交わりから切り離してしまうことになる。

「私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったか」

 天の国が父なる神の愛によって実現していくのであれば、お互いあわれみをもってゆるしあうことからはじめなければならない。

「あなた方の父があわれみ深いように、あなた方もあわれみ深い者になりなさい」(ルカ6:36)

 兄弟を無条件にまた際限なくゆるせるのは、私たちが父なる神のあわれみをいただいているからなのだ。

 兄弟を心からゆるすことから平和と喜びが生まれ、そこに神の国が始まる。(ローマ14:17参照)

 私たちは人々に「天の国は近づいた」(マタイ10:7)と宣べ伝えながら同時に「平和があるように」(マタイ10:12)と分かち合えるのである。

「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)

 私たちはゆるし合う体験を積み重ねながら、平和を築き上げているのである。

 真の平和が実現するために、まず心から兄弟をゆるし合い、愛の交わりを回復するのだ。

 

※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。