復活節

復活節第5主日・A年(2020.5.10)

「わたしは道・真理・いのちである」 王的祭司である神の民 まず、初めに、今日の第二朗読を、少し丁寧に振り返ってみましょう。 この朗読箇所は、使徒ペトロの手紙一2章4節から9節までの抜粋であります。この手紙は、当時のオリエント世界において軍事・経…

復活節第4主日・A年(2020.5.3)

「わたしが来たのは羊が命を受けるためしかも豊かに」 「羊の囲い」のたとえ 早速、今日の福音を、少し丁寧に振り返ってみましょう。 まず、福音記者ヨハネは、10章の1節から6節において、パレスティナ地方の羊飼いたちの牧畜生活を背景に「羊の囲い」のたと…

復活節第3主日・A年(2020.4.26)

「二人の目が開けイエスだと分かった」 目が遮られていて 早速、今日の福音ですが、福音記者ルカだけが伝えている、エマオに向かって逃亡中のクレオパともう一人の弟子に、復活のイエスが、現れてくださったことを感動的に語っております。 それでは、少し丁…

復活節第2主日・A年(2020.4.19)

「見ないのに信じる人は幸い」 皆一つになって 早速、今日の第一朗読ですが、福音記者ルカが、その福音書の続編とし編集した使徒言行録の2章42節から47節までの抜粋であります。 ですから、ルカはその冒頭で、まず、その福音書の由来を次のように報告してお…

聖霊降臨の主日・A年(1996.5.26)【ヨハネ20:19-23】

聖霊を受けなさい 多様性の一致 「罪のゆるしを得させるための悔い改めの洗礼」(マルコ20:19-23)が、洗礼者ヨハネから授けられていた。しかし彼よりはるかに優れたお方イエスが授けてくださるのは、聖霊と火による洗礼である(ルカ3:16)すでに旧約で預…

主の昇天(復活節第7週)・A年(1996.5.19)【マタイ28:16-20】

なぜ天を見上げているのか 疑いと不信仰 イエスにお会いし、ひれ伏して拝みながらも、弟子たちの心には疑いがなくならなかった。だから主は彼らの「不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからであ…

復活節第6主日・A年(1996.5.12)【ヨハネ14:15-21】

別れは会うの始め 一緒にいる 真の出会いには別れはないはずだ。 主との出会いが本物ならば、別離がもう一つの出会いを生み出すのだ。 「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」 弟子たちと別れるに際して、主は「世に…

復活節第5主日・A年(1996.5.5)【ヨハネ14:1-12】

御父をお示しください 私は道である 「私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」 父なる神に至る唯一の道が、イエス・キリストであると頭で理解するだけでは足りない。日々主に忠実に従っていなければならない。主のお言葉に聞き従うならば、…

復活節第4主日・A年(1996.4.28)【ヨハネ10:1-10】

命を豊かに受けるために イエスの声を聞く 羊が自分の羊飼いの声を聞き分けるように、私たちも良い羊飼いであるイエスの声を聞けるのだろうか。 「羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、他の者には決してついていかず、逃げ去る」 イエスの声を…

復活節第3主日・A年(1996.4.21)ルカ24:13.35】

主は生きておられる 目がさえぎられる 復活の主にお会いする体験には、神ご自身の介入があるのではないか。 「二人の目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった」 このことが、もしイエスであることに気づかないように神によって妨げられていたとい…

復活の主日・A年(1996.4.7)【ヨハネ20:1-9】

見て、信じだ 空(から)の墓から 弟子たちが見たのは、イエスのご遺体がない空(から)の墓の亜麻布だけだったので、大変動揺していた(ルカ24:12参照) つまり肉眼で見ることの次元にまだとどまっていたのだ。復活のイエスにお会いするためには、どうして…

復活節第2主日・A年(1996.4.14)【ヨハネ20:19-31】

シャローム(平和)派遣、ゆるし 恐れからの解放 「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にかぎをかけていた」 きっと心の扉をもかたく閉ざしていたと思われる弟子たちが、復活の主にお会いできた。 復活の恵みは、人の目を気にしたり、世間や…

復活節第6主日・A年(2014.5.25)

「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと 一緒にいるようにしてくださる」 神の霊の息吹 今日の福音も、イエスが弟子たちと決定的な別れを目前にして切々と語られた決別説教を伝えております。 そこで、イエスは約束をなさいました。 「わたしは父に…

復活節第5主日・A年(2014.5.18)

「わたしは道であり、真理であり、命である」 どこへ行くのか分かりません 今日の福音は、イエスが、弟子たちとの決定的な別れを目前に控えた最後の晩餐の席上で、切々と語られた決別説教の前半を詳しく伝えています。 とにかく、イエスは、弟子たちにはっき…

復活節第4主日・A年(2014.5.11)

「わたしは門である。 わたしを通って入る者は救われる。」 羊はその声を知っているので、ついて行く イエスは、今日の福音の前半で、羊飼いと羊のイメージを使って、わたしたち一人ひとりが、また共同体ぐるみでイエスに忠実に聞き従うことの大切さを強調な…

復活節第3主日・A年(2014.5.4)

「わたしたちの心は燃えていた」 暗い顔をして立ち止まった 今日の福音は、クレオパともう一人の弟子たちが、復活のイエスと一緒にエマオまで行くことができたという感動的な出来事を、伝えています。 福音記者は、まず、この二人の弟子たちがたどり着いたエ…

復活節 第2 主日(神のいつくしみの主日)・A年(2014.4.27)

「見ないのに信じる人は、幸いである」 恐れて閉じこもっていた弟子たち 今日の福音は、復活させられたイエスが、その日の夕方、弟子たちに現れてくださったことを感動的に伝えています。 それは、恐れと挫折感に閉じ込められまさに引きこもりの弟子たちが、…

復活の主日・A年(2014.4.20)

「イエスは死者の中から復活された」 墓に葬られたイエス 復活させられたイエスにお会いするために、まず、イエスが十字架上で処刑された場面に、いったん戻ってみたいと思います。 その現場の様子は、おそらく目撃者の一人である福音記者ヨハネが書いたとさ…

キリストの聖体・C 年(2013.6.2)

「裂いて弟子たちに渡しては、群衆に配らせた」 典礼改革が目したこと ちょうど50年前、教会は第二ヴァティカン公会議において、典礼の根本的改革に取り組みました。特に、ミサのささげ方について思い切った見直しをいたしました。それは、中世以来続いてき…

三位一体の主日・C年(2013.5.26)

「三位一体の神を信じ、礼拝します」 三位一体の祭日の由来 教会は、伝統的に「祈りの掟と信仰の掟」(Lex orandi et lex credendi)の密接な繋がりを強調してきました。信仰箇条の重要な主題である「父と子と聖霊を等しく神として信じる」ことは、すでに、8…

主の昇天・C年(2013.5.12)

「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」 今日の第一朗読は、福音記者ルカが書いたとされる『使徒言行録』からとられていますが、まさにルカが、イエスの昇天の出来事をどのように捉えているかを、つまり、昇天という出来事をいかなる文脈で受け止めてい…

復活節第 3 主日・C 年(2013.4.14)

「わたしは彼らに永遠のいのちを与える」 わたしを愛しているか ヨハネ福音書によれば、復活なさったイエスが、弟子たちのところに三度にわたって現れて下さいました。その三度目の時ですが、弟子たちと一緒に食事をなさってから、ペトロと個人的に話された…