復活節第5主日・A年(2014.5.18)

「わたしは道であり、真理であり、命である」

どこへ行くのか分かりません

 今日の福音は、イエスが、弟子たちとの決定的な別れを目前に控えた最後の晩餐の席上で、切々と語られた決別説教の前半を詳しく伝えています。

 とにかく、イエスは、弟子たちにはっきりと宣言しました。

「子たちよ、いましばら く、わたしはあなた方と共にいる。あなた方はわたしを捜すだろう。『わたしが行くところにあなたたちは来ることが出来ない』とユダヤ人に言ったように、今、あなた方にも同じことを言っておく。・・・

シモン・ペトロがイエスに言った。『主よ、どこへ行かれる のですか。』

 イエスが答えられた。『わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることは出来ないが、後でついて来ることになる。』

ペトロは、言った。『主よ、なぜ今ついて行け ないのですか。あなたのためなら命を捨てます。』

イエスは、答えられた。『わたしのた めに命をすてると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたし のことを知らないと言うだろう。』」(ヨハネ 13.33-38)ペトロの裏切りまでを、予告された弟子たちは、驚きと不信感で心を取り乱してしまったのではないでしょうか。

ですから、イエスは、優しく彼らを励まします。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」

 大きな試練に遭遇するときこそ、信仰が問われるのです。とにかく、困難と苦しみを乗り越えることができるのは信仰の力にほかなりません。

 そこで、イエスは、弟子たちを安心させるためにさらに語られます。

「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろか。行って、あなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。・・・わたしがどこへ行くのか、その道を あなたがたは知っている。」

 天の御父から派遣されたイエスは、また、天に過越して行かれるのですが、わたしたちのために天に住家を用意なさるためなのです。

 ここで言われた「戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」とは、聖霊をいただくわたしたちのところに、天の御父とイエスも一緒にいてくださるということにほかなりません(同上 14.23 参照)

 そこで、弟子のトマスが、突然質問を投げかけました。「主よ、どこへ行かれるのか、 わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

 このトマスの切実な問いかけの根底にあるのは、わたしたちは、真の救いに至る道が分かりませんということにほかなりません。

  今日(こんにち)の日本において、真の幸せを見出せなくなり、まさに自分の人生に絶望し、自死というむごたらしい手段を選んでしまう人たちは、毎年 3 万人にも達するという現状です。 また、大震災と原発事故の被災者の多くの方々は、今、なお仮設住宅での避難生活を強いられています。ですから、被災地の教会は、全国から駆け付けたボランティの方々を一緒に、家庭訪問などによって被災者の方々に寄り添っています。

 

 わたしは道、真理、命である

  生きる希望と勇気を見いだせずに自分の殻の閉じこもっている人たちに、イエスは、 「わたしは道であり、真理であり、命である。」と優しく呼びかけておられるのではないでしょうか。

 また、イエスは、ご自分こそ、羊のために命をささげる「よい羊飼い」(同上 10.11 参 照)なので、同時に救いに至る「門」であると宣言なさいました。ですから、絶望の悲し みに打ちひしがれている方々が、次のような祈りをささげて欲しいです。

「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ 憩の水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。 主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。」(詩 23.1-4)

 毎日、処理しきれないほどの情報の波に流されている生活の只中で、一体何が正しいのか、何が間違っているのかが、分からなくなって来ているのではないでしょうか。 イエスは、ピラトの前でどうどうと宣言なさいました。

 「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」(ヨハネ 18.37)

 神の真理は、すべてイエスによってわたしたちに知らされたのです。ですから、真理に属する者は、皆、イエスの声を聞くことになるのです。 ですから、イエスは、十字架上の苦しみを目前に控えて、御父に向かって次のように祈られました。

「わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。真理によって彼らを聖なる者としてください。あなたのみことばは真理です。わたしを世にお遣わしにな ったように、わたしも彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささ げます。彼らも、真理によってささげられる者となるためです。」(同上 17.16-19)

  この世の真理ではなく、あくまでも神の真理によってわたしたちは、この世から切り離されているのです。ですからまた、神の真理をあかしするためにこの世に遣わされている のです。 さらにイエスは、宣言なさいます。

「わたしは、命である。」ちなみにこのように「わたしは何々である。」という言い回 しは、神にのみ当てはまるまさに「神ご自身の自己宣言」であります。 ですから、イエスご自身が、すべてのいのちの源である神であるという宣言にほかなりません。

 しかも、具体的にイエスからいのちをいただくのは、イエスからいのちのおことばをいただくことにほかなりません。ですから、パンの奇跡の後、ペトロが弟子たちを代表して、次のような信仰告白をしました。

「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠のことばを持っておられます。」(同上 6.68)

 今週もまた、「道、真理、命」であるイエスを、人々に証しできるように、共に祈りたいと思います。