復活節第5主日・A年(1996.5.5)【ヨハネ14:1-12】

御父をお示しください

 私は道である

「私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」

 父なる神に至る唯一の道が、イエス・キリストであると頭で理解するだけでは足りない。日々主に忠実に従っていなければならない。主のお言葉に聞き従うならば、御父に従うことにもなるのだ。イエスははっきり言われた。

「あなたがたが聞いている言葉は私のものではなく、私をお遣わしになった父のものである」(ヨハネ14:24)だから既に「私は門である。私を通って入る者は救われる」(ヨハネ10:9)とも名言してくださったのだ。

 御父のみ旨が何であるのか、何を望んでおられるのか、特に何を命じておられるのか、すべてイエスのお言葉によって教えてもらえる。

「主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」(ヨハネ6:68)

 

私は真理である

 王は絶えず御父のもとで、私たちのためにとりなしておられる。「真理によって

 彼らを聖なる者としてください。あなたのみ言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、私も彼らを世に遣わしました。彼らのために、私は自分自身をささげます。

 彼らも、真理によってささげられた者となるためです」(ヨハネ17:17-19)

 イエスの口を通して語られる御父の真理のお言葉を生きることによって、私たちは神のものとなっていく。だからこそ逆に「地の塩、世の光」(マタイ5:13-.14)として、この世に派遣されていくのである。

 イエスはピラトの尋問にお答えになった。

「私は真理についてあかしをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、私の声を聞く」(ヨハネ18:37)

 神の真理をすべて示してくださる主に聞き従うたに、どうしても聖霊に助けていただく必要がある。

「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなた方に告げるからである」(ヨハネ16:13)

 

私は命である

「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ3:3.5)

 信仰の命はまさにイエスによって生かされることであり、それは、永遠の命、すなわち神の命に生かされることにほかならない。

 この満ちあふれる神の命に生かされているからこそ、いかなる苦しみをも耐え抜くことができる。そしてさらに死をも乗り越え、実に永遠の命の輝きに迎え入れられる希望に生きるのである。だから自分の人生は幸せなのだ。

 

 ※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。