復活節第6主日・A年(1996.5.12)【ヨハネ14:15-21】

別れは会うの始め

 一緒にいる

 真の出会いには別れはないはずだ。

 主との出会いが本物ならば、別離がもう一つの出会いを生み出すのだ。

「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」

 弟子たちと別れるに際して、主は「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13:1)だから「あなたがたを、みなしごにしておかない」と、切なる思いを込めて慰めてくださった。

 この出会いが実現するために、私たちはまず、主のおきてを実践しなければならない。

「そのおきてとは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方が私たちに命じられたように、互いに愛し合うことです」(1ヨハネ3:23)

 

弁護者・真理の霊

「たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます」(1ヨハネ2:1)

 御父はさらに別の弁護者を私たちにくれるのだ。しかもこの弁護者は真理の霊でもあり、また御父と御子を結びつける愛の息吹である。だから「私が父の内におり、あなたがたが私の内におり、私もあなたがたの内にいる」と主が断言なさるのだ。まさに父と子と聖霊の交わりの中に私たちも組み入れられている。真理の霊であり、助け主でもある聖霊は、私たちの心に神の愛を注いでくださる。(ローマ5:5参照)

 と同時に「聖霊も私たちの弱さを助けてくださいます。私たちはどのように祈るべきかを知りませんが、聖霊ご自身が、言葉にあらわせないうめきを通して、私たちのために執り成してくださるのです」(ローマ8:26)

 ヨハネによれば、弟子たちが聖霊をいただいたのは、復活させられた主が彼らに現れてくださったときである。

「聖霊を受けなさい。だれの罪でもあなたがたが許せば、その罪は許される。だれも罪でもあなたがたが許さなければ、許されないまま残る」(ヨハネ20:22-23)

 聖霊こそがお互いを許せるようにしてくれる。きっとお互いに受けた傷をまず癒やしてくださるからであろう。

 ゆるすべき、といくら自分に言い聞かせても、気持ちがついていけないのは、相手から受けた傷がまだ癒えていないからではないか。だから、まず聖霊に自分の傷を癒やしていただくことが先決である。」

 

愛によって知る

 互いに愛し合いなさい、という主のおきてを忠実に守るなら、主は約束なさる。

「私のおきてを受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である。私を愛する人は私の父に愛される。私もその人を愛して、その人を私に現す」

 愛の交わりの中でこそ、イエスがご自身を示してくださるのだ。イエスを愛してこそ、さらに深く知ることができる。

 

※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。