復活節第 3 主日・C 年(2013.4.14)

「わたしは彼らに永遠のいのちを与える」

わたしを愛しているか

 ヨハネ福音書によれば、復活なさったイエスが、弟子たちのところに三度にわたって現れて下さいました。その三度目の時ですが、弟子たちと一緒に食事をなさってから、ペトロと個人的に話された場面が伝えられています。なぜ、ペトロにだけ特別に話し掛けられたのでしょうか。カトリック教会の伝統は、ペトロを初代の教皇としておりますので、新しい教皇フランシスコは、266 人目のペトロの後継者になったことになります。

 ところで、復活のイエスは、初代教皇ペトロに向かって優しく問いかけました。

「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか。」他の弟子たちも当然イエスを愛していたはずです。けれども、イエスは、ペトロには他の弟子よりもより大きな愛を求められたのです。とにかく、ペトロは、即座に答えました。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。」そこで、イエスは、命じられました。

「わたしの小羊を飼いなさい。」

  教皇こそは、全信者の牧者として、司牧し導く責任を担っているのです。聖書の伝統によれば、すでに旧約時代から、先ず、神が羊飼いのイメージで登場します。ですから、詩編では、牧者である神への全面的な信頼を、次のように詩っています。

 「主はわたしの牧者。

 わたしには乏しいことがない。

 主はわたしを緑の牧場に憩わせ、

 わたしを静かな水辺に伴い、

 魂を生き返らせ、

 あなたの名にふさわしく正しい道に導かれる。」(詩編 23:1-3)

  このように、人間は、神である愛に満ちた羊飼いによって養われ、導かれ、守られる羊なのです。

 

わたしは善い羊飼い

 ですから、この聖書的な伝統に従って福音記者ヨハネも、イエスを善い羊飼いとして描いています。

「わたしは善い羊飼いである。

 善い羊飼いは羊のために命を捨てる。

・・・

 わたしは善い羊飼いであり

 自分の羊を知っており、

 わたしの羊もわたしを知っている。

 それは、父がわたしを知っておられ、

 わたしも父を知っているのと同じである。

 そして、わたしは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ 10:11-15)

  ここで言われている「わたしの羊もわたしを知っている。」とは、イエスを愛していると言い換えてもいいのではないでしょうか。つまり、ヨハネが言う、「知る」とは、単に知識として知ることではなく、そこに、血が通っているということですから、「羊が羊飼いを知る」とは、イエスがペトロに尋ねたように、「イエスを愛する」ことにほかなりません。

 また、聖書の伝統によれば、イエスは、「過越の小羊」(コリント一、5:7)なのです。

 ですから、過越祭の伝統に従って、イエスはまさに「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)として、十字架上で屠られたのです。したがって、典礼は 50 日間にわたってこの「過越の神秘」を、毎年祝い続けるのです。

 

彼らに永遠のいのちを与える

 ところで、今日の福音は、このヨハネが伝える善い羊飼いについての最後の説明の箇所であります。ここで、善い羊飼いイエスと羊であるわたしたちとの極めて大切な間柄について詳しく話されたのです。

 まず、イエスは断言なさいます。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」

   毎日、わたしたちは、様々なことを聞いて生活しているのですが、果たして、イエスが語られていることをしっかり聞き取っているでしょうか。パウロは、晩年、弟子のテモテに対して極めて具体的な忠告をしています。

「みことばを宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話のほうへそれて行くようになります。」(テモテ二、4:2-4)

  イエスのおことばは、福音書を開くときだけでなく、日々体験する出来事をとおしても語っておられます。とにかく、イエスの声を聞く、つまり、イエスのお言葉を聞くことが、信仰の生き方の基本にほかなりません。ですから、パウロは、次のように断言しています。

「実に、信仰は、聞くことにより、しかも、キリストのことばを聞くことによって始まる。」(ローマ 10:17)

 従って、イエスは、続いて次のように強調なさっておられます。

「彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠のいのちを与える。」

  イエスに聞き従うとき、すでに永遠のいのちを生きることが出来るのです。

 また、イエスは、サマリアの女に、優しく宣言なさいました。

「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠のいのちに至る水が湧き出る。」(ヨハネ 4:13-14)

 ところで、イエスは、パンの奇跡の後、大群集に向かってご自分が与えるいのちのパンと御血について詳しく説明なさいました。

「アーメン、アーメンわたしは言う。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、永遠のいのちを得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」(同上 4:53-55)

 そして、その時、ペトロは、弟子たちを代表して、イエスに対して次のようなイエスのおことばに対する信仰告白をしました。

「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠のことばを持っておられます。あなたこそ、神の聖なるかたであることを信じ、また知っています。」(同上6:68-69)

  一人ひとりが、また、共同体としていつも忠実にイエスに聞き従うことによって、永遠のいのちを豊かに生きることができるように、共に祈りたいと思います。