復活の主日・A年(2014.4.20)

「イエスは死者の中から復活された」

墓に葬られたイエス

 復活させられたイエスにお会いするために、まず、イエスが十字架上で処刑された場面に、いったん戻ってみたいと思います。

 その現場の様子は、おそらく目撃者の一人である福音記者ヨハネが書いたとされる福音書を手掛かりにその場面を振り返って見る必要があります。
 聖書は次のように、その出来事を報告しています。
「さて、ユダヤ人たちは、その日が準備の日で、その安息日は大切な祭日であったので、安息日に死体を十字架に残しておかないように、三人の脚を折り、体を取り除いて欲しいとピラトに願った。

そこで、兵士たちが来て、イエスと共に十字架につけられた第一の者と、もう一人の者の脚を折った。イエスの所に来ると、すでに死んでおられたのを見て、その脚を折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスの脇腹を突き刺した。
するとすぐに、血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証しをしており、その証しは真実である。その者は、自分が真実を語っていることを知っている」(ヨハネ 19.31-35)
 この目撃者の証言通り、イエスは、十字架上で確かに息を引き取り亡くなられました。
 その後、早速、墓に葬られたことも、次のように報告されています。
「その後(のち)、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスの体を取り下ろしたいと、ピラトに願い出た。・・・

 そこで、ヨセフはイエスの体を取り下ろした。・・・彼らは、イエスの体を受け取り、ユダヤ人の埋葬のしきたりに従って、香料と一緒に亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には、園があった。その園には、まだ誰も葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、その墓が近かったので、そこにイエスを葬った。」(同上 20.38-42)
 そして、今日の福音の場面に続くのですが、ここであえてもう一人の福音記者であるマタイの記事を引用します。
「さて、安息日が終わり、週の第一日が明け初めるころ、マグダラのマリアと、もマリアが墓を見に来た。

 すると突然、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降って石に近づき、石を脇へ転がして、その上に座ったからである。その姿は稲妻のように輝き、その衣は雪のように白かった・・・

 み使いは婦人たちに言った、『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのであろうが、その方は、ここにはおられない。兼ねてから仰せになったとおり、復活された。さあ、入って、納められた場所を見るがよい。そして、急いで行って、弟子たちにこう告げなさい、<イエスは死者の中から復活された。あなた方よりも先にガリラヤに行かれる。あなた方はそこでイエスにお会いできる。>』」(マタイ 28.1-7)
 ですから、弟子たちもそして婦人たちも、イエスが復活させられた場面を目撃したのではなく、あくまでも、天使の言葉通りを信じる以外に、復活のイエスにお会いすることは、できなかったのです。

 

何のためにイエスが復活させられたのか

 では、何のためにイエスは、復活させられたのでしょうか。それは、このミサで最初に祈った集会祈願に示されています。
「全能の神よ、あなたは、きょう御ひとり子によって死を打ち砕き、永遠のいのちの門を開いてくださいました。
 主イエスの復活を記念し、この神秘にあずかるわたしたちを、あなたの霊によって新たにし、永遠のいのちに復活させてください。」
 そうです。わたしたちも、イエスに倣って永遠のいのちに復活させていただくことができるためです。
 ですから、イエスは、死後四日もたったラザロを生き返らせる直前、マリアに宣言なさいました。
「イエスは仰せになった、『あなたの兄弟は復活する』
 マルタは言った、『終わりの日の復活の時に、復活することは存じております』
 イエスは仰せになった。『わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。
 生きていて、わたしを信じる者はみな、 永遠に死ぬことはない。このことをあなたは信じるか』
 マルタは答えた、『はい、主よ、あなたがこの世に来られるはずの神の子、メシアであると、わたしは信じております』。」(ヨハネ 11.25-27)。
 イエスこそ、すべての人を復活させるために、まず、ご自分のいのちを十字架上で天の御父にささげられたのです。ですから、イエスは、はっきりと宣言なさいました。
「今こそ、この世の裁きが行われる時。 今、この支配者が追い出される。そして、わたしが地上から引き上げられるとき、すべての人をわたしのもとに引き寄せる」(同上 12.31-32)
 ですから、パウロも、分裂騒ぎを起こしてしまったコリントの教会の信者たちに復活について詳しく説明し、復活のキリストを中心に一致できるように、次のように書き送っています。
「今や、キリストは死者の中から復活され、眠りにつていた人々の初穂となられました。一人の人間を通して死はやって来たのですから、また、一人の人間を通して死者の復活もやって来るのです。・・・
太陽の輝き、月の輝き、星の輝きは、それぞれ別であり、一つの星と他の星とでは輝きが違います。
死者の復活も、これと同じです。蒔かれた時は滅び去るはずであったものが、復活する時は滅びないものとなります。」(一コリント 15.20-42)
 復活の希望に支えられてあらゆる苦しみ、そして死をも勇気をもって受け入れることができるように、共に祈りたいと思います。