聖霊降臨の主日・A年(1996.5.26)【ヨハネ20:19-23】

聖霊を受けなさい

 

多様性の一致

「罪のゆるしを得させるための悔い改めの洗礼」(マルコ20:19-23)が、洗礼者ヨハネから授けられていた。しかし彼よりはるかに優れたお方イエスが授けてくださるのは、聖霊と火による洗礼である(ルカ3:16)すでに旧約で預言されたことが、主によって見事に実現したのだ。

「私はすべての人にわが霊を注ぐ。その日、私は奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ」(ヨエル3:1.2)

 パウロは何のために洗礼を受けるのかを、はっきりと教えてくれる。

「一つの霊によって、私たちはユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです」(1コリント12:13)

 

神の業を語る

「聖霊と火で」授けられた洗礼によって、私たちは神の偉大なみ業をいつの時代においてもあらゆる所で語れるのである」(使徒言行録2:1-11参照)

 そのためにこそ、私たちは派遣されているのだ。

「父が私をお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす」

 パウロもこう命令している。「み言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい。咎め、戒め、励ましなさい。忍耐強く十分に教えるのです。どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」(2テモテ4:2.5)

 私たちは聖霊をいただいているからこそ、主のお言葉を理解しそれを伝えることができるのだ。

「聖霊が、あなた方に全てのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ14:26.16.13)

 

ゆるしと平和

「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなた方ゆるせば、その罪はゆるされる」

 お互いの過ちや罪をゆるせるのは、聖霊をいただいているからなのだ。聖霊が心の傷を癒やし、どんな相手でも受け入れることができる力をくださるからだ。頭でいくらゆるすべきだとわかっていても、聖霊の働きによらなければ、真のゆるしを体験できない。

 本当にお互いをゆるし合えるなら、そのときこそ真の平和も与えられるのではないか。

「私は、平和をあなた方に残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない」(ヨハネ14:27)

 このお約束は、復活された主が聖霊をくださったときに実現した。争いや戦争また差別や搾取、抑圧がまだなくなっていないこの世界の中で、主がくださる平和を広げていく使命をいただいている。

「実に、キリストは私たちの平和であります。神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェソ2:14.16)

 

※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。