三位一体の主日(年間第10週)・A年(1996.6.2)

神の愛は世界を救う 【ヨハネ3:16-18】

 

 愛するひとり子

 愛するひとり子イサクを捧げるように、神はアブラハムに要求された。(創世記22:1-14参照)

その同じ神が、私たちを救うために、尊いひとり子イエスをくださった。これほどまでの神の愛を、実感としてどこまで体験しているのだろうか。パウロの心境になれるのか。

「私たちすべてのために、その御子さえ惜しまずに死に渡された方は御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ8:32)

 このように神の愛が最大限に示される前に、実に生きとし生けるものばかりでなく、存在するすべてのものは、神の愛から生まれたのだ。

「あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる」(知恵11:24.26)

 

今、永遠の命を生きる

 このひとり子を信じるなら、今から永遠の命を生きることができる。これが神の救いの目的にほかならない。

「ひとり子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」だから主は、この永遠の命をどのように生きるのかを明確に教えてくださったのだ。

「はっきり言っておく。私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」(ヨハネ5:24)

したがって、このひとり子を「信じない者は既に裁かれている」

 さらに大変ありがたいことに、主はこの永遠の命を生きる糧を日々くださるのだ。

「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。私は命のパンである。これは、天からくださったパンであり、これを食べる者は死なない。私は、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるなら、その人は永遠に生きる」(ヨハネ6:47-48 50-51)

 

父と子と聖霊のみ業(わざ)

「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」この救いの計画が完成されるために聖霊が保証となるのである。

「時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭(かしら)であるキリストのもとにひとつにまとめられます。あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたら福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、私たちがみ国を受け継ぐための保証であり、こうして私たちはあがなわれて神の栄光をたたえることになるのです」(エフェソ1:10.13-14)

 父と子と聖霊の共同の救いのみ業にあずかるのが私たちの人生の目的であり、すべての被造物もこの救いの対象であることに、毎日感謝して生きたいものだ。

 

※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。