復活節第2主日・A年(1996.4.14)【ヨハネ20:19-31】

シャローム(平和)派遣、ゆるし

 恐れからの解放

「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にかぎをかけていた」

 きっと心の扉をもかたく閉ざしていたと思われる弟子たちが、復活の主にお会いできた。

 復活の恵みは、人の目を気にしたり、世間や権力を恐れる心を解放してくれるはずだ。苦しみと死に打ち勝ち、復活の栄光に入られた主は、新たな勇気と希望を与えてくれる。

 だからパウロは力強く励ますのだ。

「死んだ方、否、復活された方であるキリスト・イエスが、神の右の座に座っていて、私たちのために執り成してくださるのです。だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難(かんなん)か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。これらすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださる方によって輝かしい勝利をおさめています(ローマ8:34-35.37)

 

あなた方に平和

「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(ヨハネ14-27)

 既にイエスは聖霊によって真の平和をくださると約束なさった。武力や権力によってではなく、ご自身を徹底的に与え尽くしてくださることによってもたらされる平和なのだ。

「こうしてキリストは、双方をご自分においてひとりの新しい人に造りあげて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らされました」(エフェソ2:15-17)

 復活の恵みを生きるとき、きっと平和を造り上げていくすばらしい力をもいただけるはずだ。

「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)

 

ゆるしをもたらす派遣

「父が私をお遣わしになったように、私もあなた方を遣わす」

 復活の主は、人々のところへ平和の福音を告げ知らせるために、私たち一人ひとりを派遣なさるのだ。死と復活を記念するために集められた信仰共同体は、また必ずそれぞれの場に派遣されていく。

「ご自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして彼らに言われた。

「どこかの家に入ったら、まず “この家に平和があるように” と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなた方の願う平和はその人に止まる」(ルカ10:1.5.6)

 この派遣を生きているのかどうかが、まさに復活の恵みにあずかっているかの大切なあかしなのだ。だから今日もまたあらためて、復活の主が私たちをそれぞれの場に派遣してくださる。

 

※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。