復活節第2主日・A年(2020.4.19)

「見ないのに信じる人は幸い」

皆一つになって

 早速、今日の第一朗読ですが、福音記者ルカが、その福音書の続編とし編集した使徒言行録の2章42節から47節までの抜粋であります。

 ですから、ルカはその冒頭で、まず、その福音書の由来を次のように報告しております。「イエスが行い、また、教え始められてから、ご自分がお選びになった使徒たちに、聖霊の働きによって指図をお与えになり、天に上げられたその日までのことをことごとく書き記しました。」(使徒1.1-2参照)と。

 したがって、使徒言行録は、第二の書として紀元30年から63年までの33年間にわたる初代教会の歴史的歩をまとめた大切な書物と言えましょう。

 ですから、今日の朗読箇所は、初代教会のあるべき姿を次のように報告しております。

 まず、「信者たちは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」と、簡潔に説明しております。

 つまり、聖霊降臨によって誕生した(同上2.1-4参照)エルサレム教会は、まず、「使徒たちの教えに」、次に「相互の交わり」そして「パンを裂くこと」これはミサと言えましょう。そして、最後に「祈ることに熱心であった。」と、教会の理想的な姿を見事に強調しております。

 すなわち、聖霊を注がれた使徒たちは、自分たちの中に力強く働いておられる神の素晴らしい御業を実感しているので、お互いがその恵みを共に分かち合うというまさに愛の共同体を育てることができたのではないでしょうか。

 ですから、使徒パウロは、この共同体の成長について、次のように総括しております。

「わたしたちはみな、信仰によって、また、神の子を深く知ることによって一つになり、成熟した大人、すなわち、キリストのうちに満ちているもので満たされ、その背丈にまで達するようになるのです。・・・このキリストによって、体全体は、必要なものをもたらす互いのあらゆる触れ合いを通して、また、各部分の役割に従った働きに応じて一つ組み合わされ、結び合わされて大きく成長し、愛に基づいて自分を築きあげていくのです。」(エフェソ4.13-16参照)と。

 

信仰は試練によって本物と証明される

    次に、今日の第二朗読ですが、使徒ペトロの手紙一の1章3節から9節までの抜粋であります。

 実は、このペトロの手紙ですが、恐らくペトロの名を借りたものと考えられます。とにかく、この手紙の受取人(うけとりにん)たちを、ローマ帝国による迫害が迫っていた90年代に書かれ、異教徒の中で、まさに少数者として厳しい生活において、苦難に耐え、終わりの時の救いの完成を待ち望むよう次のように励ましています。

「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生れさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽(く)ちず、汚れず、しぼまない財産を受けつく者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現わされるよう準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。」と。

 続いて、信仰が本物であるかどうかが試されることを、次のように強調しております。

「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりもはるかに尊(とうと)くて、イエス・キリストが現れるときには、賞賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」

 ちなみに、使徒パウロは、試練について次のような助言を与えてくれます。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」(コリント一、10:13参照)と。

 

あなたがたを遣わす

  最後に今日の福音ですが、ヨハネによる福音書20章19節から31節までの抜粋であります。

 実は、この20章の1節から10節において、マグダラのマリアと、シモン・ペトロとイエスが愛しておられたもう一人の弟子が登場し、空(から)の墓で、この弟子が、「見て、信じた。」と最初の復活信仰の体験者であることを、報告し、11節から18節において、今度はマグダラのマリアに復活のイエスが現れてくださったことをいとも感動的に伝えております。

 ですから、今日の箇所は、弟子たち全員に初めて復活のイエスが現れてくださり、早速、聖霊を注ぎ、彼らを派遣なさったことを、伝えております。

「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」と、まず、弟子たちの怯えている姿に注目してみましょう。イエスの残酷な最期を見せつけられた彼らは、失望と挫折感に打ちのめされていたので、すべての戸に鍵をかけ、ひっそりと隠れることしかできなかったと言うのです。ですから、彼らはこぞって自分の心にも鍵をかけていたのではないでしょうか。

 そのような最悪の場面に、なんと復活のイエスが突然現れてくださいました。

「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは、重ねて言われた。『あなた方に平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』と。」

 ここで言われている「平和があるように」ですが、イエスご自身の復活によって平和が実現したことの宣言にほかなりません。しかも、その平和をすべての人々に告げ知らせるために、早速、弟子たちを派遣なさったのであります。

 つまり、福音記者ヨハネは、イエスの復活の出来事を、弟子たちの派遣と結びつけるのであります。

 しかも、派遣には聖霊が伴うので、イエスは、宣言なさいました。

「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」と。実は、福音記者ルカは、イエスが天の昇られる前に、弟子たちに次のような約束をなさったことを、伝えています。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』と(使徒1.8参照)

 今週もまた、派遣されるそれぞれの家庭、学校、職場そして地域社会において、主の復活の証人となれるように共に祈りましょう。

 

 

※関連記事(1996カトリック新聞に連載・佐々木博神父様の「主日の福音」より)

https://shujitsu-no-fukuin.hatenablog.com/entry/2019/04/14/000000

 

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