復活の主日・A年(2020.4.12)

「見て、信じた」

愛するもう一人の弟子の復活信仰

早速、今日の福音ですが、ヨハネによる福音書の20章1節から9節までの抜粋であります。

しかも、福音記者ヨハネは、イエスの復活を最初に信じたのは、「イエスの愛しておられたもう一人の弟子」(ヨハネ20.2参照)であったことを、強調しているのではないでしょうか。

実は、この名前が伏せられているイエスの愛したもう一人弟子ですが、ヨハネ福音書では、最後の晩餐に初めて登場します(同上13.23参照)。そして、他(ほか)の弟子たちが、皆、逃げてしまったとき、イエスの十字架の許(もと)に留まり、母マリアを、自分の母として迎えるようにイエスに命じられた弟子(同上19.27参照)にほかなりません。

では、今日の朗読箇所を、少し丁寧にふり返って見ましょう。

まず、冒頭で「週の初めの日」と、復活の出来事が起こった日を、確認しております。

勿論、ここで言われている「週の初めの日」とは、ユダヤの暦においては、金曜日の日没から土曜日の夕方までが、週の最後の日、すなわち安息日なので、結局、週の初めの日、つまり日曜日ということになります。

そこで、最初に登場するのは、「マグダラのマリア」(同上19.25;20.11,18参照)ですが、名前からして、まず、出身地はマグダラ(ガリラヤ湖西岸の町)であり、ルカによる福音書によれば悪霊に取りつかれていたのを、イエスによって癒され、救われた女性であることしか、明かにされておりません。とにかく、このマリアこそ、十字架のイエスのそばに聖母マリアとイエスの愛しておられたもう一人の弟子と最後まで、付き添っていたことが報告されております(同上19.25参照)。

とにかく、このマグダラのマリアは、「墓から石が取りのけてあるのを見た。」とき、てっきりイエスのご遺体が何者かに運び去られたと早合点し、ペトロともう一人の弟子のところに走って戻り、「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」と、あからさまに報告します。

実は、この「分かりません」というマリアの言い回しですが、この20章の11節では、次のように説明されております。

「マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。・・・天使たちが、『婦人よ、なぜ泣いているのか』と言うと、マリアは言った。『わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。』と。まさに、マグダレナのマリアが、イエスのご遺体の置かれている場所が、分からないというだけでなく、今回の出来事によってイエスがどなたであるのかが分からなくなったという深刻な告白ではないでしょうか。確かに、イエスの十字架のそばに付き添い、そのご遺体の埋葬にも協力したでしょうが、イエスとの深い関係が断ち切られてしまった今、まさにイエスがどなたなのか、全く途方に暮れている心境の叫びではないでしょうか。

ところで、墓に先に着いたはずのもう一人の弟子ですが、「身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。」と、念を押していますが、これは、恐らく初代教会の伝承においては、使徒パウロが伝えているように、「聖書に書いてある通り三日目に復活したこと、ケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に現れたこと、」(コリント一、15.4-5参照)という伝承がすでに定着したいたためではないでしょか。

けれども、「それから、先に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」と、まさに弟子たちの中で、誰よりも先に復活信仰を体験したのは、このもう一人の弟子にほかなりません。

 次に、ここで確認すべきことですか、ヨハネ福音記者は、原文のギリシャ語では、「見る」という三つの言葉を使い分けております。

つまり、最初に、マグダラのマリアが、「墓から石がとりのけてあるのを見た」というのは、ふつう肉眼で対象物を見るというまさに日常的な見るとう体験にほかなりません。また、ペトロが、「墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た」時も、見るという普通の体験ですが、「先に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」ときの「見る」は、肉眼で見るという体験を超えて、まさに出来事の背後にある神の働きを洞察する体験と言えましょう。ですから、この弟子が、イエスの復活を最初に信じることができたのであります。

クレオパともう一人の弟子の復活体験

実は、この弟子の体験に通じる出来事は、福音記者ルカが詳しく次のように伝えてくれます。「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。・・・イエスご自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮(さえぎ)られていてイエスだとは分からなかった。・・・その一人のクレオパという人が答えた。『エルサレムに滞在していながら、この数日(すうじつ)そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。』

イエスが、『どんなことですか』と言われると、二人は言った。『ナザレのイエスのことです。この方(かた)は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。・・・わたしたちは、あの方こそイスラエルを解方してくださると望みをかけていました。・・・そこでイエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこうして苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」(ルカ24.13-27参照)

これこそ、ミサの前半、「ことばの典礼」と言えましょう。とにかく福音記者ルカは、目が遮られていて、復活のイエスに全く気付かなかった弟子たちに、まず、「聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明」なさったのは、まさに、聖書は救いの歴史の流れに沿って集大成されているので、決してそれぞれの文書を切り離してしまうのではなく、あくまで全体の文脈においてしか、解釈できないとう原則であります。

しかも、教皇フランシスコが、次のように強調なさっておられるように聖書の学びは、教会活動の中心にしなければなりません。

「福音宣教全体は、神のことばに根差し、それを聞き、黙想し、それを生き、祝い、あかしします。聖書は福音宣教の源泉です。従ってみことばを聴く養成を受け続ける必要があります。・・・神のことばを『ますますあらゆる教会活動の中心置く』ことが絶対に必要です。・・・聖書の学びは、すべての信者に開かれていなければなりません。・・・」(『福音の喜び』174-175項参照)

クレオパともう一人の弟子が、宿に着いたときイエスをお迎えし、食事と共にしたとき、「二人の目が開け、イエスだと分かった」(ルカ24.30参照)ように、わたしたちもミサの後半の「感謝の典礼」において復活のイエスに気づくことが出来るように、共に祈りましょう。

 

※関連記事(1996カトリック新聞に連載・佐々木博神父様の「主日の福音」より)

https://shujitsu-no-fukuin.hatenablog.com/entry/2019/04/07/000000

 

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