年間第5主日・B年(24.2.4)

「彼女は一同をもてなした」

 

忘れないでください わたしの命は風に過ぎない(ヨブ7:7参照)

  早速、今日の第一朗読のヨブ記ですが、教えの書であると同時に長編(ちょうへん)の詩でもあり、その偉大な教えは、人生における避けることのできない苦しみの神秘に関するものであります。

 とにかく、本書を貫いているテーマは、苦しみが神の測りしれない英知(えいち)と慈愛(じあい)に満ちた摂理(せつり)の内にすべて包含(ほうがん)されたものであることを示唆(しさ)する、本書最後の箇所は、神ご自身のことばによって解き明かされます。

 つまり、潔白(けっぱく)の者に降りかかる不幸と苦しみは、その人が神に対して犯した罪の結果であるとする友人たちの考えの誤りを明らかにし、反対にその苦しみは、最終的により豊かな恵みを与えるという目的のためにのみ神が許される試練であることを悟らせると言えましょう。

 ですから、今日の箇所で、まずヨブが、心の底から次のように嘆きます。

「この地上に生きる人間は兵役(へいえき)にあるようなもの。

 傭兵(ようへい)のように日々を送らなければならない。

 奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ

 傭兵(ようへい)のように報酬(ほうしゅう)を待ち望む。」

 ここで言われている「兵役(へいえき)ですが、単に「苦役(くえき)とも訳され、14章14節では、「人は死んでも、また生きるであろうか。わたしはわたしの苦役(くえき)のすべての日々を耐えよう。解き(と)はなたれる時か来るまで。」となっています。

 つまり、ヨブも、現在の苦しみから自由になれる命の終わり、すなわち死を待ち望んでいるというのです。

 さらに続きます。「そうだ、わたしの嗣業(しぎょう)はむなしく過ぎる日々。労苦の夜夜(よよ)が定められた報酬。横たわればいつ起き上がれるのかと思い 夜の長きに倦(う)み、いら立って夜明けを待つ。わたしの一生は機(はた)の梭(ひ)よりも早く 望みもないまま過ぎ去る。」

 まさに自分の一生は、機(はた)の梭(ひ)、つまり、横糸(よこいと)を通すために左右から投げるように早いというのです。

「忘れないでください、わたしの命は風に過ぎないことを。わたしの目は二度と幸いを見ないでしょう。」と、本音をさらけだします。

 

福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです(一コリント9:16c参照)

  次に、第二朗読ですが、使徒パウロが、第一宣教旅行中に創立したコリント教会ですが、なんと派閥争いが原因で、分裂騒ぎに見舞われたというのです。

 けれども、パウロ自らが出向いて問題の解決に取り組むことができなかったので、せめて書簡によってと、したためたのがこの手紙です。

 ですから、パウロは、本音(ほんね)で自分の切なる思いをしたためています。

「皆さん、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。」

 つまり、パウロの宣教活動がしてもしなくてもよいこと、すなわち、彼自身の自由意志の決定によるものであったならば、労働についての契約(けいやく)を結ぶ場合のように、報酬(ほうしゅう)を要求することもできたでしょう。

 けれども、パウロは、まさにキリストによって選ばれ、福音宣教のいわば管理者の任務を委ねられたのだから、キリストのいわば奴隷(どれい)となったと言えるのです。

「では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせときにそれを、無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。」と、言い切っています。

 続いて、19節からは、パウロの宣教者としての徹底した姿勢を強調しています。

「わたしは、誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。弱い人には、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」

 パウロの徹底した心意気(こころいき)に、まさに圧倒(あっとう)されます。

 

そこでもわたしは宣教する(マルコ1:38c参照)

 最後に、今日の福音ですが、マルコが伝えるイエスのカファルナウムの町での一日の宣教活動を伝えている場面です。すでに最初に選ばれた弟子シモン、その兄弟アンデレ、ヤコブとその兄弟のヨハネの四人が協力しています。

 一行は、安息日だったので、会堂での礼拝に参加した後(のち)、シモンとアンドレの家を訪問します。

 ところが、「シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、早速、彼女のことをイエスに報告しました。」ですから、「イエスが彼女のそばに行き、手を取って起こされると、熱は直ちに去り、彼女は一同をもてなした」というのです。

 ここでいわれている「もてなした」ですが、ギリシャ語では「仕える」と、なっていますので、癒された彼女は、イエスに仕えた、つまり、後(のち)に、弟子たちのようにイエスの活動に参加するようになったとも言えましょう。

 次に、安息日が終わったので、つまり、「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊にとりつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。」というのです。

 そして、なんと「町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。」とのことです。

 とにかく、最初の悪霊払いと病気の癒しが、きっかけとなって、イエスの周りに群衆が押し寄せて来たというのです。

 ちなみに、ここで言われている「いやし」とは、ギリシャ語では、病気を治す、あるいは病気に気を付けるという意味があります。ですから、イエスの具体的な医療活動の実態は、明らかにされていません。

 従って、「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。」というのは、悪霊たちが、不適切な時に間違った方法で、イエスがだれであるかを暴こうとしていたからではないでしょうか。

 続いて、翌日のイエスの行動が、次のように報告されています。

「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると『みんなが捜しています』と言った。イエスは言われた。『近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。』

 ここでまず確認できることですが、イエスの宣教活動は、彼の祈りによって支えられていたということです。

 また、イエスのこの世に来られた目的は、「そのためにわたしは出てきたのである。」という宣言で明らかなように、御父がイエスをこの世へ派遣なさったことと、彼の先在性(せんざいせい)つまりイエスは、永遠の昔から御父のもとにおられ、この世に派遣された独り子にほかなりません。

 

【聖書と典礼・表紙絵解説】
https://www.oriens.or.jp/st/st_hyoshi/2024/st240204.html