「あの方は死者の中から復活された」
恐れることはない。行ってわたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい(マタイ28:9参照)
福音記者マタイは、イエスの復活の出来事を、独自なタッチで極めて(きわ)ドラマティックに描いています。
まず、「マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。」と。ちなみに。イエスが、十字架上で息を引き取られたときも、「地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った(同上27:51)。」と、その時の状況を描写しています。
マタイは、復活の民間説話の言い伝えを取り入れて、神がイエスの行ったことの重要さを伝えようとしています。
つまり、マタイは、イエスのこの地上で果たす役割が、その誕生のときから死と復活のときまで変わらず宇宙全体に関わる重大なことであったことを主張しているのです。つまり、世界が揺り動かされ、ずっと昔に死んだ者さえも復活するほどの重大な出来事なのだと主張していると言えましょう。
また、黙示文学的な出来事としてとらえているので、「主の天使が天から降って近寄り、石を脇へころがし、その上に座った」というのです。
さらに、天使たちに命じます。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたよりも先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」と。
ここで言われている弟子たちですが、イエスが逮捕されたときに彼を見捨てて逃げてしまったのです。ただペトロは、ただ一人例外で、ためらいながらも遠くからイエスについて行ったのですが、三度もイエスを否定し、呪いました。
ただ、女性たちは、ゴルゴダでは遠くからイエスを見つめていたのですが、それが今、すすんで墓をみにでかけたので、その報いを受けることになります。つまり、イエスの復活を最初に告げるという大役(たいやく)を果たします。
ですから、マタイは彼女たちを、キリスト者が見習うべき模範、つまり主の復活の知らせを受け取り人々に伝えるときにはどうすればよいかの模範をしめそうとしているといえましょう。
「婦人たちは、恐れながらもおおいに喜び、急いで墓を立ちさり、弟子たちに知らせるために走って行った。
すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」というのです。
つまり、女性たちは、イエスに近づいて礼拝したのであります。
この女性たちの反応は、明らかに、キリスト者が主の現存にどのようにして尊敬を払えばよいのかを示す模範となっているといえます。
とにかく、彼女たちは、「イエスの足を抱く」のですが、イエスに対する人間的な感情も表しているといえましょう。
そこでまた、イエスは優しく語られます。
「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこで、私に会うことになる。」と。
つまり、この新しい状況が、復活について聞きそれを信じる人たちから生まれてくるのであります。つまり、彼らは神の子となり、こうしてイエスの兄弟姉妹となることが出来ると言うのです。
ですから、主の復活を、共同体ぐるみで毎年祝うことによって、わたしたちの教会が、復活のキリストを中心に、まさに兄弟姉妹の愛の共同体に成長できるように共に祈りましょう。
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