灰の水曜日(23.2.22)

「今こそ心からわたしに立ち帰れ」

 

    まず初めに、今日から始まる四旬節の由来について振り返って見ましょう。

 すなわち、四旬節の歴史的背景を辿ると、既に2世紀頃から、聖金曜日に始まり、復活祭前夜の晩餐で終わる二日間の過越しの断食を行っていたと言うことです。

 また、四世紀には、復活祭前の三週間の断食節があったそうです。それがきっかけとなり「四十日間」の復活祭の準備期間が設けられるようになったのではないでしょう。

 それは、また、洗礼志願者が洗礼の準備を締めくくる時期と重なり、同時に共同体全体も志願者と共に復活祭を迎える回心に励むようになったのであります。

 ですから、第二バチカン公会議前までは、この四旬節の40日間、大斎(だいさい)を守っていたのであります。

 この大斎については、今では、今日と聖金曜日の二回に短縮されましたが、大切なのは、共同体全体が洗礼志願者と共にこの四旬節の回心の霊性を実際に体験することではないでしょうか。

 そのために、今日の聖書朗読箇所を振り返って見ましょう。

 まず、第一朗読で預言者ヨエルが、回心を次のように呼びかけています。

「主は言われる。『今こそ、心からわたしに立ち帰れ

 断食し、泣き悲しんで。

 衣(ころも)を裂くのではなく

 お前たちの心を引き裂け。」と。

 実は、預言者ヨエルは、既に1章で儀式的な断食と祈りを、次のように呼びかけています。

「祭司たちよ、荒布をまとって嘆け、

 祭壇に仕える者たちよ、泣き叫べ。

 来て、荒布をまとって夜を過ごせ、神に仕える者よ。

 断食を布告し、きよめの集会を招集せよ(同上1:13-14)。」と。

 ですから、今日の箇所は、この祭儀上の断食に対応して、真(まこと)の回心を呼び掛けていると言えましょう。

 では、回心とは一体どのような体験なのでしょうか。

 以前は、改心つまり改める心と表記してきましたが、近年は、回す心、すなわち回心と表記するようになりました。

 ですから、ミサの初めにも司式司祭と会衆が一緒に「回心の祈り」を唱えます。

 では、この回心とは、一体どのような体験なのでしょうか。

 実は、改める心の「改心」を、回す心「回心」に改めたのは、ギリシャ語のmetanoia(メタノイア)の元々の意味に立ち帰ったからにほかなりません。

 それは、福音を基準に、モノの見方、考え方の根本的な姿勢転換の体験と言えましょう。つまり、欠点や過ちを正すだけでなく、生き方そのものの変革が必要なのです。つまり、自分中心の生き方から、神中心の生き方への基本的な姿勢転換することではないでしょうか。

 ですから、イエス御自身が、今日の福音で、次のように戒めておられます。

「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。かれらは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。」と。

 ですから、預言者イザヤは、神が望まれる断食について、次のように預言しています。

「主は言われる。わたしの選ぶ断食とは、飢えた人にあなたのパンを裂き与え

 さまよう貧しい人を家に招き入れ

 裸の人に会えば衣(ころも)を着せかけ

 同胞に助けを惜しまないこと。

 そうすれば、あなたの光は曙(あけぼの)のように射し出(い)

 あなたの傷は速やかにいやされる(イザヤ58:6-8)。」と。

 また、四旬節のミサの叙唱で、司式司祭は次のように祈ります。

「聖なる父よ、御子キリストによってあなたをたたえ、感謝の祈りをささげます。あなたは信じる民の回心を望み、この恵みの時をお定めになり、過ぎ行くこの世にあるわたしたちが心のおごりを捨て、永遠に変わることのものを求めるよう導かれます。」と。

 

 

【A4サイズ(Word形式)にダウンロードできます↓】

drive.google.com

 

 

【聖書と典礼・表紙絵解説】
https://www.oriens.or.jp/st/st_hyoshi/2023/st230222.html