主の公現(2023.1.8)

「幼子を拝み黄金、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)を、贈り物として献(ささ)げた」

 

主の栄誉(えいよ)が述べ伝えられる(イザヤ60:6c参照)

  まず、初めに本日(ほんじつ)の祭日の由来を振り返ってみましょう。

 実は、すでに四世紀の初めに、エジプトのアレクサンドリアで、イエスの洗礼と同時にイエスの誕生を祝う祝日が始まったと言うことです。

 また、四世紀後半になるとこの祝日は、東方教会だけでなく西方教会にも普及し、ローマではすでに定着していた降誕祭と並行して、1月6日には占星術(せんせいじゅつ)の学者の礼拝が中心となり、三つの贈り物から学者の人数が三人と定められたと言えましょう。

 ですから、この祭日の意義は、降誕祭が神の子の隠れた誕生を祝うのに対して神の子の支配という観点(かんてん)を強調しているのではないでしょうか。

 つまり、イエスによって人類に向かわれ、世界に対する神の王権を打ち立てられるのはまさに主なる神に他なりません。

 従って、この祭日こそ、「典礼による、王なるキリストの真(まこと)の祝祭」と言えましょう。

 それでは、まず、今日の第一朗読を振り返って見ましょう。

 今日の朗読箇所で、恐らく第二イザヤの弟子と考えられる第三イザヤが、紀元前538年に始まる捕囚からの帰還後の混乱期に、諸国に対する神の普遍的な裁きという文脈の中で、シオン・エルサレムに対する救いを、次のように美しく宣言しています。

「エルサレムよ、起きよ、光を放(はな)て。

 あなたを照らす光は昇(のぼ)、主の栄光はあなたの上に輝く。

 見よ、闇は地を覆い、暗黒(あんこく)が国々を包んでいる。 

 しかし、あなたの上には主が輝き出(い)

 主の栄光があなたの上に現れる。」と。

 バビロンからの捕囚者の最初の帰還後のエルサレムの暗い状態についての描写の後(あと)、主なる神の来(きた)るべき救いと贖(あがな)いの業(わざ)が間近(まじか)であると言うのです。それは、暗闇は光に、悲しみは喜びに、恐怖と不正は平和と正義に場(ば)を譲(ゆず)ることに他なりません。

「国々はあなたを照らす光に向かい

 王たちは射し出(い)でるその輝きに向かって歩む。・・・

 そのとき、あなたは畏(おそ)れつつも喜びに輝き

 おののきつつも心は晴れやかになる。

 らくだの大群(たいぐん)、ミディアンとエファの若いらくだが

 あなたのもとに押し寄せる。 

 シェバの人々は皆、黄金(おうごん)と乳香(にゅうこう)を携(たずさ)えて来る。」

 ここで言われている「ミディアン」ですが、聖書にしばしば登場する遊牧(ゆうぼく)民のアラビア人であり、そして「エファ」は、ミディアンと一緒に登場しています。

 また、「黄金(おうごん)と乳香(にゅうこう)は、当時、最高の贈り物でした。

 

異邦人が福音によって同じ約束にあずかる者となる(エフェソ3:6参照)

  次に、第二朗読ですが、使徒パウロがしたためたエフェソの教会への手紙が、異邦人にも福音がもたらされることを強調しています。

 ちなみにこの手紙ですが、もともとは、ラオデキアとヒエラポリスのキリスト者に送られたと考えられます。

 ここで言われている「秘められた計画が啓示によってわたしたちに知らされました。」ですが、おそらく1章9-10節でいわれている「秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心(みこころ)によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭(かしら)であるキリストのもとに一つにまとめられます。」を、指していると言えましょう。

 また、「啓示によって」とは、使徒パウロにダマスコ途上で復活のイエスが示された最初の啓示を指しているばかりでなく、他の人々を通して示された啓示をも含めているようです。

 さらに、「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属するもの、同じ約束にあずかる者となるということです。」と、強調しています。

 ですから教皇フランシスコは、近年、その使徒的勧告『福音の喜び』で、次のように宣言しています。

「今日(きょう)、イエスの命じる『行きなさい』というお言葉は、教会の宣教のつねに新たにされる現場とチャレンジを示しています。皆が、宣教のこの新しい『出発』に呼ばれています。・・・私達皆が、その呼び掛けにこたえるように呼ばれています。つまり、自分にとって快適(かいてき)な場所から出て行って、福音の光を必要としている隅(すみ)に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう呼ばれているのです(同上20項参照)。」と。

 

東方でその方の星を見たので「拝みに来たのです。」(マタイ2:2b参照)

  最後に今日の福音ですが、マタイが伝える東方の占星術の学者たちが、幼子イエスを礼拝する場面でありますが、その前後のヘロデ王の様子も詳しく伝えています。

 まず、舞台設定ですが、その時代を確認しています。

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。」と。

 ここで言われている「ヘロデ王」ですが、ヘロデ大王(在位37-4BC)のことで、イエスはこの大王の治世(ちせい)の終わり頃、すなわち紀元前8年から6年までの間にお生まれになったと考えられます。

 実は、このヘロデ王ですが、生粋(きっすい)のユダヤ人ではなく、エサウを先祖とするイドマヤ人で、性格は疑い深く残忍であったと言うことです。

 また、「ベツレヘム」ですが、ダビデの出身地であり、ガリラヤ州にあるゼブルン族の「ベツレヘム」と区別するためでもありました。

 ちなみに、占星術の学者たちですが,三つの贈り物を捧げたことから、三人という伝説になり、彼らは王とされ、名前はパルタザール、メルキオール、カスパールと呼ばれるようになりました。

 とにかく、教父たち(初代教会の神学者たち)は、彼らがイエスこそ神に子と認め礼拝したと考えています。

 ちなみに、「黄金、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)ですが、「黄金」は、イエスの王権(おうけん)を、「乳香(にゅうこう)は、イエスの神性(しんせい)を、「没薬(もつやく)は、イエスの受難を、それぞれ象徴していると言えましょう。

 わたしたちも、これら学者たちにならって、飼い葉桶(おけ)に寝かされている幼子イエスを礼拝するだけでなく、メシアの誕生という救いの歴史の大切な出来事を、まさに福音として人々に告げ知らせることができるように共に祈りましょう。

 


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【聖書と典礼・表紙絵解説】
https://www.oriens.or.jp/st/st_hyoshi/2023/st230108.html