主の降誕(日中のミサ)22.12.25

「みことばは人となりわれわれのうちに宿った」

 

地の果てまですべての人が私たちの神の救いを仰ぐ(イザヤ52:10b参照)

  この日中(にっちゅう)のミサにおいて、人となられたみことばを軸にそれぞれの聖書朗読を振り返ることによって、主の降誕の聖書的神秘をより深く味わうことができるのではないでしょうか。

 それでは、早速、今日の第一朗読を振り返ってみましょう。

 このイザヤ書ですが、近年の聖書研究の結果、66章あるイザヤ書を、その編集者とそれぞれの年代によって、便宜上第一イザヤ(1-39章)、第二イザヤ(40-55章)、第三イザヤ(56-66章)に分けることができます。

 ですから、今日の朗読箇所は、第二イザヤに属する箇所となります。

 そこで、この第二イザヤが編集された時代背景ですが、紀元前6世紀のまさに捕囚時代と言えましょう。

 したがって、第二イザヤにおいては、特に四つの「主の僕(しもべ)の歌」を、中心に前半(40-48章)では、「新しい出エジプトとして、また新しい創造としての、バビロンからの解放」が主題となり、後半(49-55章)では、「シオンへの慰めと回復、さらに諸国への光となるべき新しい使命」が主題となっています。

 ですから、今日の朗読箇所では、捕囚からの解放の「良い知らせ」について、次のように美しく預言しています。

「いかに美しいことか

 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。

 彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え

 救いを告げ

 あなたの神は王となられた、と

   シオンに向かって呼ばわる。」と。

 続いて、神の都エルサレムにおける人々の具体的な反応を描写しています。

「その声に、あなたの見張りは声をあげ

 皆(みな)(とも)に、喜び歌う。

 彼らは目(ま)の当たりに見る、主がシオンに帰られるのを。・・・

 主がその民を慰め、エルサレムを贖(あがな)われた。・・・

 地の果てまで、すべての人が、私たちの神の救いを仰ぐ。」と。

 このように、今日(きょう)、教会は、またあらためて全世界の善意の人々に、メシアの誕生の「良い知らせ」を、伝えることができるのであります。

 

この終わりの時代には 御子によってわたしたちに語られた(ヘブライ1:2参照)

 次に、今日の第二朗読ですが、使徒パウロがキリスト教に改宗したヘブライ人に宛ててしたためたとされる手紙の1章で、救いの歴史における神の語り掛けを見事に総括(そうかつ)しています。

「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子(おんこ)によってわたしたちに語られました。」と。

 まず、冒頭でいわれている「かつて」ですが、「昔」とも訳すことが出来る、旧約時代を意味しています。

 しかも、この「かつて」は、キリストの復活によって始められた「この終わりの時代」に対応します。

 また、「多くのかたちで」ですが、「いくたびも」、「何回も」、「断片的(だんぺんてき)に」とも訳され、神の啓示が一度に全体的に示されたものではなく、時代時代に、部分的に示され完成されたという意味に他なりません。

 さらに「多くのしかたで」ですが、神が預言者たちに、幻(ビジョン)や、夢、または神との対面などを通して語られたと解釈できます。

 次に、「この終わりの時代に」ですが、ギリシャ語からの直訳は、「これらの日々の終わり」となり、神が歴史の中に介入する時を指します。

 ですから、まさに、キリストの到来によって、旧約時代は終わり、永遠に続く新約時代が始まったのであります。

 また、「御子によってわたしたちに語られ」ですが、確かに啓示を与えるのは神ご自身ですが、それをわたしたちに語られるのは、仲介者であるキリストに他なりません。 したがって、神ご自身と、その永遠の救いの計画は、イエス・キリストの教えと業(わざ)とによって私たちに示されるのです。 

 また、今日の箇所の締めくくりとして、次のように宣言されています。

「いったい神は、かつて天使のだれに、『あなたはわたしの子、わたしは今日(きょう)、あなたを産んだ』と言われ、更にまた、『わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる』と言われたでしょうか。〔むしろ、〕神はその長子(ちょうし)をこの世界に送るとき、『神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ』といわれました。」と。

 

それは父の独り子としての栄光であって 恵みと真理に満ちていた(ヨハネ1:14c参照)

 最後に今日の福音は、ヨハネが伝えるロゴス賛歌一番と二番であります。

 このロゴス賛歌ですが、すでに初代教会において歌われていた(一番)「創造者であるロゴス(みことば)をたたえるもの(1節-5節)」、

(二番)「人となったロゴス(みことば)をたたえるもの(10節-14節)」、

(三番)「啓示と恵みの与え主であるロゴス(みことば)をたたえるもの(16節-18節)」であります。

 まず、冒頭でいわれている「初めに」ですが、創世記の創造賛歌も「初めに」と言われているので、みことばの創造者としての役割を示していると言えましょう。

 旧約聖書においては、神の「ことば」は、特別な力を備え、また、人格化され、創造の仲介者として描かれています。

 また、新約聖書においては、使徒たちの福音宣教を指し、黙示録ではキリスト自身を指しています。ここでは、父の福音をもたらす三位一体の第二のペルソナ、キリストを指しています。ここの3節は、「すべてのものはみことばによってつくられた。みことばによらず つくられたものはなに一つなかった。」と訳すこともでき、後半は全被造物がみことばによって創られたというだけでなく、存在を続け発展させるための生命力はみことばから出ることをも意味していると言えましょう。

 また、4節で言われている「命」ですが、みことばの神的(しんてき)命に他なりません。しかも、この「命」は、「人間を照らす光」なのです。

 つまり、イエスを信じる人々に神の子としての「命」を、与え、ご自分に従う人に「光」すなわち「幸福と救い」を、与えてくださるのです。

 14節の「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」ですが、「みことばは人となり、われわれのうちに宿った。」とも訳すことができます。

 ここで言われている「肉」ですが、もろい死すべき人間を指しています。

 また、「宿った」ですが、直訳では「天幕を張る」となり、主なる神がかつてイスラエルの民に幕屋(神殿)を建てさせ、そこに住まわれたことを示す言い回しです。

 ですから、いつも、どこにでも共にいて下さるイエスに対する信仰を、この恵みのときに、さらに強めていただくことができるように共に祈りましょう。

 

 

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【聖書と典礼・表紙絵解説】
https://www.oriens.or.jp/st/st_hyoshi/2022/st221225day.html