主の降誕(夜半のミサ)22.12.24

今日ダビデの町であなたがたのために 救い主がお生まれになった

 

その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」(イザヤ9:5d)

   今宵(こよい)、全世界の善意(ぜんい)の人々と共に、救い主イエスの誕生を共に祝うことが出来るその聖書的意義を確認してみましょう。

 まず、今日の第一朗読で、メシア預言をイザヤ書によって解き明かすことができます。

 実は、紀元前8世紀に、ユダ王国で12代目の王ヒゼキアのもとで活躍した預言者イザヤは、シリア・エフライム戦争で荒廃したユダ王国にも、王子の即位によってふたたび平和が訪れることを、つぎの様に力強く預言しています。

「あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり

 人々はみ前に喜び祝った。

 刈り入れの時を祝うように

 戦利品を分け合って楽しむように。・・・

 ひとりの嬰児(みどりご)がわたしたちのために生まれた。

 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。

 権威が彼の肩にある。

 その名は、『驚くべき指導者、力ある神

 永遠の父、平和の君』と唱えられる。

 ダビデの王座とその王国に権威は増し

 平和は絶えることがない。」と。

 これは、直接には、紀元前728年に行われたヒゼキア王(728-698BC)の即位を祝って、イザヤが述べた宣言とも言うべき内容であります。

 まさに、今ここで、ヒゼキアが若年で即位するのですが、北イスラエルの回復を預言し、また軍事大国アッシリアがなんと神によって裁かれ、打ち破られると言うのであります。

  ですから、アッシリアによって戦禍(せんか)にさらされていた地域の人々に、再び光が輝き、彼らは勝利品を分け合うように喜びに満たされるのです。つまり、このような政治情勢の大転換が、まさに新しい王の即位によって確実に実現するという預言であります。

 次に、「ひとりの嬰児(みどりご)がわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」ですが、ここで言われている「生まれた」ですが、神の子としての新しい王が誕生する即位式を指しています。

 けれども、これをメシア預言に発展させますと、次に宣言されている「権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』」は、飼い葉桶に寝かされている赤ん坊のイエスにそのままみごとに当てはまるのではないでしょうか。

 まず、「驚くべき指導者」ですが、判断力と偉大な計画を立ててそれを完成させる知恵を意味しています。

 また、「力ある神」(神のように力ある英雄)は、通常、主なる神の道具として敵を打ち、勝利することと言えましょう。

 さらに、「永遠の父」とは、王は父親のようにその民をいつまでも育(はぐく)むの、意味です。

 最後の「平和の君」ですが、国の内外(ないがい)において争いや抑圧の恐れがなく、繁栄(はんえい)と幸福な生活をもたらすという意味です。

 実は、これらの肩書を現実のものとした実在(じつざい)のユダ王国の王は一人もいなかったため、理想化したダビデ王を来るべきメシア像とするいわゆるメシア預言に発展させたと言えましょう。

 ですから、最後のくだり「ダビデの王座とその王国に権威は増し 平和は絶えることがない。」は、飼い葉桶に寝かされている赤ん坊のイエスによって必ず実現する預言になるのではないでしょうか。

 

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14参照)

  今日の福音は、ルカが伝えるイエスの誕生の場面でありますが、イエスこそがこの地上に真(まこと)の平和をもたらすメシアであることを宣言していると言えましょう。

 しかも、イエスの誕生をオリエント世界の政治の枠組みに挿入し、このメシアこそが、すべての人々の救いのために生まれたという神学に基づいているのです。

 ですから、「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土に、登録をせよとの勅令が出た。」と、確認しています。しかも、この住民登録のモチーフは、イエスの誕生を公(おおやけ)にローマ帝国の舞台に乗せるためではないでしょうか。

 そして、当時の世界最大の強者(きょうじゃ)であるローマ皇帝が、全世界に向けて勅令を発するのですが、それは、彼がまさに知らずして神の救いの御計画に寄与(きよ)したことになるのではないでしょうか。

 また、この皇帝アウグストゥスは、「全世界の救い主」と崇(あが)められ、人々からは、「アウグストゥスの平和」とも言われていたので、実に、イエスこそが真(まこと)の平和の救い主であることが、暗に強調されていると言えましょう。

 さらに8節からは、羊飼いたちが登場し、なんと天使が、栄光の光に恐れている彼らに、厳(おごそ)かに宣言します。

「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日(きょう)ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」と宣言します。

 ここで言われている「しるし」ですが、すでに紀元前8世紀に、エルサレムが敵に包囲され、怯えているヒゼキア王に向かって預言者イザヤが、次のように宣言しています。

「主ご自身があなたがたにしるしを与えられる。見よ、おとめが身籠って男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ(イザヤ7:14参照)。」と。

「すると、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」と。

 ここで言われている「御心に適う人」ですが、神が望む人々、つまり神の気に入る人々であり、旧新約をとおして神の選びの神学の基本が示されています。

 ですから、神の天にある栄光は、この地上でのイエスの誕生によって具体化し、神の平和は、イエスによって選ばれた人々に与えられるという意味になり、地上に集中するのであります。

 ですから、この素晴らしい神の救いの出来事であるメシアの誕生を、祝うことが出来る私たちは、イエスが与えて下さる新しい掟、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる(ヨハネ13:34)。」を、日々、派遣される場において忠実に実践することによって、「平和を実現する人々は、幸いである、その人々は、神の子と呼ばれる(マタイ5:9参照)。」という幸せに豊かに与ることが出来るように共に祈りましょう。

 

 

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【聖書と典礼・表紙絵解説】 https://www.oriens.or.jp/st/st_hyoshi/2022/st221225eve.html