聖霊降臨の主日・C年(22.6.5)

「聖霊がすべてのことを教え   ことごとく思い起こさせてくださる」

 

聖霊に満たされて他の国々の言葉で話し出した(使徒言行録2.4参照)

  初めに、本日(ほんじつ)の祭日の由来を簡単に振り返ってみましょう。

そもそも、復活日後50日は、初期のキリスト教徒にとって、復活節が儀式でもって終了する日以外の何物でもなかったのであります。

 ところが、四世紀頃に、東シリアやパレスティナの教会では、特にこの日をキリストの昇天を主(しゅ)として記念するという習慣が始まったのであります。しかも、エルサレムでは50日目に、聖霊降臨と昇天を一緒に祝うようになりました。

 けれども、4世紀の終わり頃になると聖霊降臨が50日目の祝祭の本来の内容として一般に定着し、その結果、祝祭としての独自の特徴を持つ、復活節が一週間拡張した祭日になったと言えましょう。

 それでは、いつものように今日の聖書朗読箇所の解説に入りましょう。

 まず、第一朗読ですが、復活節の間、継続して読まれた使徒言行録の2章の聖霊降臨の出来事を伝える箇所であります。

 この編集者であるルカ福音記者は、エルサレムにおけるその出来事を極めてドラマチックに次の様に描いています。

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」と。

 ここで言われている「五旬祭」ですが、ユダヤ教の三大祭りの一つで、麦の収穫を祝う祭りでしたが、同時にモーセがシナイ山で神から律法を授けられた記念日でもあり、過越祭から数えて丁度50日目に当たるので、この名で呼ばれるようになったのであります。

 また、「一同が一つになって集まっていると」のくだりですが、すでに「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(同上1.14)と報告されているように祈っていた共同体にほかなりません。

 ちなみに、ルカは、この出来事を「激しい風が吹いてくる音」で、描くのは、ヘブライ語とギリシャ語では、霊を風として表現することに由来しているのではないでしょうか。

 ちなみに、福音記者ヨハネは、ニコデモとの対話で、イエスの次のようなお言葉を伝えています。

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆その通りである。」(ヨハネ3.8参照)と。

 そこで、一同に聖霊が降(くだ)った様子を、次のように描いています。

「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、”霊“が語らせるままに、ほかの国の言葉で話しだした。」と。

 また、「ほかの国々の言葉で話しだした。」ですが、聖霊の具体的な恵みには言葉の賜物があることを暗示しているのではないでしょうか。

 しかも、弟子たち一同に聖霊を注がれたことによって、彼らは、福音宣教のために全世界に派遣されることを宣言していると言えましょう。

 

キリストを死者の中から復活させた方は 死ぬはずの体をも生かす(ローマ8.11参照)

 次に、今日の第二朗読ですが、使徒パウロが編集したと考えられるローマの教会への手紙8章からの抜粋であります。

 実は、ローマの教会と言えば、使徒パウロの創立ではない教会で、使徒パウロが、実際にローマの教会を訪問する前に、したためられたキリスト教の主な教えを伝えるための書簡と言えましょう。

 ですから、今日の箇所で、使徒パウロは、次の様にキリスト者のただ中で働かれる聖霊について具体的にしたためているのではないでしょうか。

「神の霊があなたがたの内(うち)に宿っている限り、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても“霊”は、義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなた方の内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」と。

 このように、使徒パウロの聖霊論によれば、キリスト者は例外なく肉と霊との対立の中に置かれ、その矛盾と争いをもろにこうむると言うのです。

 とにかく、パウロにおいては、「肉」は、単純に「体」と同じ意味で、「心」に対立するものとして用いられていますが、全体としては旧約の言葉の使い方に従い単純に「体」と同じ意味で、「心」に対立するものとして用いられています。さらには、地上の被造物としての人間的なものの一切を表し、人間存在の弱さ、脆(もろ)さ、はかなさ、不完全性を特に強調する表現と言えましょう。

 

別の弁護者を遣わして 永遠に一緒にいるようにしてくださる(ヨハネ14.16参照)

 最後に今日の福音ですが、ヨハネによる福音書の14章からの抜粋で、イエスが最後の晩餐の席上語られた別れの説教の第一部の後半にあたる箇所であります。そして、特に聖霊の働きについての説明であります。

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。・・・聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」と。

 まず、聖霊は、イエスがこの世から去った後(あと)を継ぐ「別の弁護者」にほかなりません。

 ですから、聖霊こそは、いつも共にいてくださる神の霊であり、しかも、すべてのことを教え、イエスの語られたことをすべて思い起こさせてくださるというのであります。

 ですから、使徒パウロは、聖霊の働きを次の様に具体的に説明してくれます。

「神の霊に導かれる者は皆、神の子なのです。・・・この霊によってわたしたちは、天の御父に向かって幼子のような信頼をこめて、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子どもであることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」と。

 また、すでに続唱で次のように歌いました。

「あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください。

   貧しい人の父、心の光、証しする力を注ぐ方(かた)

   やさしい心の友、さわやかな憩い、揺(ゆる)ぐことのないよりどころ。

   苦しむときの励まし、暑さの安来(やすらい)、憂(うれ)いのときの慰め。

   恵みあふれる光、信じる者の心を満たす光よ。

   あなたの助けがなければ、すべては儚(はかな)く消えてゆき、

   だれも清く生きてはゆけない。

   汚れたものを清め、すさみを潤(うるお)し、受けた痛手を癒す方(かた)

   あなたはわたしの支え、恵みの力で救いの道を歩み続け、

   終わりなく喜ぶことができますように。

   アーメン。アレルヤ。」

 

 

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【聖書と典礼・表紙絵解説】
https://www.oriens.or.jp/st/st_hyoshi/2022/st220605.html