復活の主日・C年(22.4.17)

「見て、信じた」

 

民に述べ伝え、力強く証しする(使徒言行録10.42参照)

  福音記者ルカが編集した初代教会における使徒たちの活躍を伝えているのが、使徒言行録です。

 この書物の前半での主人公は使徒の頭であるペトロであり、後半は異邦人の使徒パウロに変わります。

 いづれにしても、彼らはそれぞれ、障害者をいやし、死人をよみがえらせ魔術師と対決するなど、主(おも)に異邦人に対す宣教に専念していたと言えましょう。

 ちなみに、今日の第一朗読が伝えているのは、ペトロが異邦人に向けて語った最初の説教であります。

「ヨハネが洗礼を宣(の)べ伝えた後(のち)に、ガリラヤから始まってユダヤ全土で起きた出来事です。・・・わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現わしてくださいました。・・・そしてイエスは、ご自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣(の)べ伝え、力強く証しするようにと、私たちにお命じになりました。」と。

  従って、十二使徒たちがこの世を去った後(あと)、宣教の主力(しゅりょく)を繰り返して担(にな)ったのは、無名の大勢の信徒の宣教者たちでした。特に一世紀の終わりから二世紀の終わりまでの時代には、キリスト教はあたかも「伝染病」のように人々の間に広まって行きました。しかも、その原動力は、キリスト者一人ひとりの内にある信仰の喜びであり、彼らは、その喜びと恵みを皆(みんな)と分かち合わないではいられない宣教の情熱に他なりません。

 

過越の小羊として屠られたキリスト(一コリント5.7c参照)

 ちなみに、典礼暦年の頂点は、主の晩餐の夕べのミサから始まり、その中心を復活徹夜祭におき、復活の主日の「晩の祈り」でとじる「過越の三日間」です。

 それは、ユダヤ教の三大祭りの一つである過越祭をルーツにして、復活祭が祝われるようになったからにほかなりません。

 ですから、使徒パウロは、今日の第二朗読で「キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られた」と、断言しています。

 また、福音記者ヨハネは、弟子たちとの最後の晩餐を、「さて、過越祭の前のことであった。」(ヨハネ13.1参照)と念を押すことによって、過越祭の小羊がエルサレムの神殿で一斉に屠(ほふ)られる同時刻に、イエスが十字架上で、まさに過越祭の小羊として屠られることを強調しています。

 ちなみに、ミサの「平和の賛歌」で、「神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ」と、三回繰り返し歌います。

 

もう一人の弟子も入って来て、見て、信じた(ヨハネ20.8参照)

 最後に今日の福音ですが、福音記者ヨハネが伝えるイエスのご遺体を埋葬した空(から)の墓での出来事です。

 実は、このヨハネは、イエスの十字架上の死と復活とをあたかも一つの出来事のように描いているのが特徴と言えましょう。

 たとえば、イエスはニコデモとの対話で、次のように宣言しています。

「天から下(くだ)って来た者、

 すなわち、人の子のほかには、

 誰も天に昇(のぼ)った者はいない。

 モーセが荒れ野で蛇(へび)を上げたように、

 人の子もあげられなければならない。

 それは、信じる者が皆、

 人の子によって永遠の命を得るためである。」(同上3.13-15参照)と。

 まさに、十字架に上げられご自分が過越の小羊として屠られるのは、天に上げられる、つまり復活させられる出来事なのです。

 また、イエスは、エルサレムに巡礼に来た人々に向かって次の様に叫ばれました。

『アーメン、アーメン、私は言う。

 もし、一粒の麦が地に落ちて死ななければ、

 一粒のまま残る。

 しかし、死ねば、豊かな実を結ぶ。

  ・・・

 今こそ、この世の裁きが行われるとき、

 今、この世の支配者が追い出される。

 そして、わたしが地上から引き上げられるとき、

 すべての人をわたしのもとに引き寄せる』(同上12.24-32参照)と。

 つまり、イエスが、十字架に上げられることが、まさに天に上げられる復活なのであります。

 ではここで、空(から)の墓での出来事を少し丁寧に振り返ってみましょう。

 まず「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。」と、報告されています。

 ここで言われている「まだ暗いうちに」ですが、実はヨハネの福音書で光と闇は大切な役割を演じています。つまり、復活を信じるまでは、まだ、闇が続いているのです。

 また、マグダラのマリアが、石が取りのけられた空(から)の墓を目撃して、ただちに、「シモン・ペトロのところへ、また、イエスの愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。『主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。』」と。

 とにかく、御遺体がだれか敵対者によって盗まれたと早合点したマリアが、思わず口にした「わたしたちには分かりません。」とは、厳しい現実に直面して、イエスが誰なのかが全く分からなくなってしまったという嘆きではないでしょうか。

 ですから、事の深刻さに気付いたペトロともう一人の弟子(最後の晩餐から登場する「イエスが愛しておられた弟子」同上13.23参照】)が、早速、墓へ駆けつけます。そこで、

「もう一人の弟子の方が、ペトロより早く走って、墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中に入らなかった。

 続いて、シモン・ペトロも着いた。・・・それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」と。

 この弟子が、最初に外から墓の中をのぞいたときに「見た」と言う体験と、墓の中に入って行き「見て、信じた。」という体験は全く次元が違うのではないでしょうか。

   つまり、「見て、信じた」とは、まさに信仰の目が開かれたので復活を信じることができたのです。

 わたしたちもこの弟子に倣って、イエスの復活を固く信じることが出来るように共に祈りましょう。

 

 

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【聖書と典礼・表紙絵解説】
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