主の降誕 (夜半のミサ:21.12.24)

「地には平和、御心に適う人にあれ」

「平和の君」と唱えられ平和は絶えることがない(イザヤ9.56-56a参照)

 

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見

 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

 あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり

 人々は御前(おまえ)に喜び祝った。

 刈り入れの時を祝うように

 戦利品を分け合って楽しむように。

 彼らの負う軛(くびき)、肩を打つ杖、虐げる者の鞭(むち)

 あなたはミディアンの日のように折ってくださった。」

 

 このイザヤの預言は、紀元前728年に行われたユダ王国のヒゼキヤ王(728-698BC)の即位を祝って、預言者イザヤが述べた祝いの言葉と言えましょう。

 つまり、今こそ、王子ヒゼキヤが若年で即位するのですが、まさに北イスラエルの失われた地域は回復し、また軍事大国アッシリアは神によって裁かれるので、アッシリアによって侵略された地域の人々に、再び光が輝くというまさに政治情勢の大転換が、新しい王の即位によって実現するというのであります。

 ですから、教会は伝統的に、この預言こそメシア預言であると受け止め、救い主イエスの誕生の預言として来たのであります。

 預言は続きます。

「ひとりの嬰児(みどりご)が、わたしたちのために生まれた。

 ひとりの男の子が、わたしたちに与えられた。

 権威が彼の肩にある。

 その名は、『驚くべき指導者、力ある神

 永遠の父、平和の君』と唱えられる。

 ダビデの王座とその王国に権威は増し

 平和は絶えることがない。」と。

 ここで言われている「生まれた」ですが、詩編2編7節で描かれているような神の子としての新しい王が誕生するときに行われた古代イスラエルの即位式と言えましょう。

 また、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」ですが、即位に際して授けられる四つの名前に他なりません。ですから「驚くべき指導者」は、判断力と偉大な計画を立てそれを完成させる知恵を指します。

「力ある神」は、主なる神の道具として敵を打ち、勝利することを意味します。

「永遠の父」とは、王は父親のようにその民をいつまでも育むと言うのです。さらに「平和の君」とは、国の内外においてあらゆる争いや抑圧の心配がなく、繁栄と幸福な生活をもたらすと言う意味です。

 このような王は、古代イスラエルには一人も実在しなかったので、やがて来(きた)るべきダビデ王を理想化してメシア像を描き、その到来を待ち望むようになったのが、まさにメシア預言の由来と言えましょう。

 

地には平和、御心に適(かな)う人に(ルカ2.14参照)

 福音記者ルカは、今日の福音でイエスの誕生を、まず世界史の政治の枠組みの中に挿入しています。

「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に,登録をせよとの勅令(ちょくれい)が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。」と。

 これは、イエスの誕生がすべての人―世界のためにお生まれになったという主張の準備に他なりません。従って、当時、世界最大の政治家であるローマ皇帝は、それを知らずに神の救いの計画に協力することになり、またこの皇帝アウグストゥスは「全世界の救い主」と呼ばれ、人々から「アウグストゥスの平和」とも言われていたのですが、なんと彼の時代に生まれたイエスこそが、真の平和の救い主であると暗示されるとも言えましょう。

  次に、ルカは、詳しくそのときの状況を次のように説明しています。

「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ下って行った。」と。

 このベツレヘムこそメシア思想が生まれるダビデの故里(ふるさと)であります。ですから、例えば預言者ナタンは、ダビデ王に向かって次のように預言しました。

「あなたが生涯を終え、先祖とともに眠るとき、あなたの身からでる子孫のあとを継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。・・・あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」(サムエル記下7.12-16参照)と。

 さらにルカは、飼い葉桶に寝かされているイエスの誕生が、最初になんと羊飼いたちに知らされたことを次のように伝えています。

「その地方で羊飼いたちが野宿(のじゅく)をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日(きょう)ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

 『いと高きところには栄光、神にあれ、

  地には平和、御心(みこころ)に適う人にあれ。』」と。

 ここで言われている「民全体」ですが、まずイスラエル民族を指しますが、ローマ皇帝の称号アウグストゥスと並べられているので、排他的(はいたてき)にユダヤ民族に限定されていません。しかもこの宣言は誕生物語の中心と言えましょう。

 また、「今日(きょう)」ですが、世の終わり終末の救いの現存を示しています。さらに「救い主」ですが、ヘレニズムの神々、また、アウグストゥス皇帝らが当時《救い主》と呼ばれていたため、イエスこそ真(まこと)の救い主として対比させています。

 また、「地には平和、御心に適う人にあれ」ですが、「地上に平和が人類すべてにあるように。神の御心に適う者に。」とも読むことができるのではないでしょうか。つまり、救いの対象には、まさに人類すべてが含まれるのであります。

 しかも、そのことが地上に真の平和実現となることを強調していると言えましょう。ですから、主の降誕を全世界の善意の人々と共に祝うことによって、まさに世界平和実現のために共に働く決意を新たにすべきではないでしょうか。

 ちなみに、2019年11月27日、日本訪問を終えられた教皇フランシスコは、サンピエトロ広場での一般謁見(えっけん)を、次のようなお言葉でしめくくられました。

「その宗教的・倫理的価値観に忠実であり続けながら福音のメッセージに開かれている日本はより正義と平和のある世界のため、また人間と自然環境との調和のため、主導的な国となれるでしょう。」と。

(『すべてのいのちを守るため 教皇フランシスコ訪日講話集』108頁参照)

 

 

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