年間第33主日・B年(21.11.14)

「人の子が大いなる力と栄光を帯びて   雲に乗って来るのを見る」

多くの者の救いとなった人々は とこしえに星と輝く(ダニエル12.3参照)

 早速、今日の第一朗読ですが、ダニエル書12章からの抜粋であります。

 実は、この書物は、紀元前300年頃に、無名の著者によって、マカバイ時代につまり、ペルシャ時代の終わり頃からギリシャ時代の初めに、バビロン捕囚時代の実在の人物ダニエルを主人公に、知恵文学と預言書をかねた文書といえましょう。

 ですから、今日の箇所では、ダニエルがイスラエルの民が迫害を耐え忍ぶことによって、なんと復活の恵みに与ることができることを黙示文学的タッチでいとも荘厳に、つぎのように描いています。

「その時、大天使長ミカエルが立つ。

 彼はお前の民の子らを守護する。

 その時まで、苦難が続く

 国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。

 しかし、その時には救われるであろう

 お前の民、あの書に記された人々は。

 多くの者は永遠の生命(せいめい)に入り

 ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。

 目覚めた人々は大空の光のように輝き

 多くの者の救いとなった人々は

   とこしえに星と輝く。」と。

 ここで言われている「目覚めた人々」は、「賢い者たち」とも訳せますが、具体的には、シリアの王アンティオコス四世の過酷な迫害に屈せず、ギリシャ文化を拒否した人々を指します。

 また、「とこしえに星と輝く」ですが、まさに黙示文学的表現であり、ここで言われている「光」とは、救い、知識、真理の象徴であり、時には神が放つもの、または、神ご自身を意味します。

 

その日その時はだれも知らない 父だけがご存じである(マルコ13.32参照)

  次に、今日の福音ですが、マルコによる福音書の13章からの抜粋であります。

 この13章は、「小黙示録」ともいわれるエルサレム神殿の境内でのイエスの神殿の崩壊と世の終わりにまつわる出来事とキリストの再臨(parousia)についての説教と言えましょう。しかも、今日の箇所は、世の終わりに起こる天変地異と、人の子の再臨について、いとも荘厳(そうごん)に語る場面であります。

 まず、天変地異について、次のように宣言なさいます。

「それらの日には、このような苦難の後(のち)

 太陽は暗くなり、

 月は光を放たず、

 星は空から落ち、

 天体は揺り動かされる。」と。

 このように、世界的規模の政治的騒乱を、天体の物々しい現象によってまさに黙示文学的に描いています。

 具体的には、一世紀のローマ帝国の支配者たちを打ち倒すと同時に、今日(こんにち)における地球規模の対立と分裂にも及ぶ出来事にまで影響を与えているのではないでしょうか。

 続いて、人の子の再臨について、つぎのように、いとも荘厳に描いています。

「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」と。

 この裁きのために再び来られる人の子ですが、まずこの「人の子」という称号は、ダニエル書に基づくと言えましょう。

 つまり、ダニエル書の7章において、人の子の到来は、年を経た方が裁きの座についておられるすぐ後(あと)に続いています。

 また、ここで言われている「選ばれた人たち」とは、マルコにおいては、すでに13章の20節と22節において「主はご自分のものとして選ばれた人たち」、また「選ばれた人たち」と言われていますが、旧約における「残りの者」(イザヤ10.20-22参照)つまり、回心して神に立ち帰った人々は、新約の「教会」の共同体に入ったと言えましょう。 

 続いてイエスは、これら世の終わりにおける出来事に対する心構えについて次のように説明なさいます。

「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。

 その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」と。

 ちなみに、第二バチカン公会議の公文書「現代世界憲章」は、教会の時のしるしを読み取る責務(せきむ)について次のように強調しています。

「教会は、つねに時のしるしについて吟味し、福音の光のもとにそれを解明する義務を課せられている。」同上4項参照)と。

 ですから、世の終わりのしるしを読み取るために、まず、今日の世界の出来事の中に「時のしるし」を読みとり、それを実践する責任があるのではないでしょうか。

 たとえば、教皇フランシスコが、三年前、四日間の訪日の激務を果たされた後(のち)、バチカンに戻られ、サンピエトロ広場での一般謁見(えっけん)を、次のように締めくくられました。

「東京では、天皇陛下のもとを訪れる機会を得、重ねて謝意をお伝えしてきました。また、この国の要人(ようじん)や外交官ともお会いしました。わたしは、出会いと対話の文化を期待しています。それは、知恵と広い視野を特徴としています。その宗教的・倫理的価値観に忠実であり続けながら福音のメッセ―ジに開かれている日本は、より正義と平和のある世界のため、また人間と自然環境との調和のため、主導的な国となれるでしょう。」と。

 まさに時のしるしと言える世界平和の実現と、地球環境を守るために、今日(こんにち)の世界において日本はリーダーの役割を果たすことをご期待なさったと言えましょう。

 そのために、日本の教会がこの重大な使命を果たすことができるように、まさに先駆者としての責任を担っているのではないでしょうか。

 人の子の再臨に向けて、目を覚ましてこの重大な使命を果たすことができるように共に祈りましょう。

 

 

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