御体と御血の祭日・B年(2021.6.6)

「これはわたしの体、これは契約の血である」

過越祭について(出エジプト12.1-13参照)

 先ず初めに、今日の祭日の意義を明らかにするための、大切なキーワードの一つである過越祭の由来を、振り返って見ましょう。

 実は、今日の第一朗読は、出エジプト記の24章からの抜粋でありますが、すでにその十二章で、過越祭の祝い方について詳しく説明されております。

 この過越祭ですが、イスラエルの最も古い祭りであり、紀元前1200年頃、イスラエルの民が、四十年にわたる荒れ野の旅を終えて約束に地に入植してから、それまで祝われていた遊牧民の祭りと、定着した土地での収穫祭である徐酵祭(じょこうさい)とを合体させた祭りと考えられます。

 しかも、毎年春に各家庭で祝われていたこの過越祭は、イスラエルの民がエジプトでの奴隷の家からの神による解放というまさに救いの歴史のクライマックスの体験を、典礼において記念することによって、過去の救いの出来事を現在化するという典礼の恵みの体験と言えましょう。

 ですから、次のように祭りの祝い方が詳しく定められていまし。

「今月(こんげつ)の十日(とおか)、人はそれぞれ父の家ごとに、…小羊を一匹用意しなければならない。…その小羊は、傷のない一歳の雄(おす)でなければならない。…それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠(ほふ)り、その血を取って、小羊を食べる家の入口の二本の柱と鴨居(かもい)に塗る。…あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。」(同上12.3b-13参照)と。

 

これは主があなたたちと結ばれた契約の血である(出エジプト24.8参照)

 次に今日の第一朗読で、旧約と新約にわたって使われる契約というキーワードの簡潔な説明が、次のように語られています。

 「モーセは血の半分を取って鉢(はち)に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書をとり、民に読んで聞かせた。彼らが、『わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります』というと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。『見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。』(同上24.6-8参照)と。

 実は、この契約ですが旧約聖書では、まず洪水の後で、神がノアと結んだ契約、ついでアブラハムとの契約、そしてここで引用したシナイ山でモーセと選ばれた民との契約であります。

 そして、新約時代になり神と人間との契約は、キリスト者にとって、まさに新しい契約としてイエスにおいて完全に実現されました。それは、イエスが十字架上で流された御血によって、旧約時代に結ばれたすべての契約が成就(じょうじゅ)したからにほかなりません。

 

ミサの制定(マルコ14.22-25参照)

 それでは、今日の福音によって、ミサの制定について振り返って見ましょう。すでに説明したように、旧約時代から祝われて来た過越祭は、ユダヤ教のエルサレム神殿の参拝を伴う三大祭りの一つであり、過越の小羊が祭りの前日に、神殿で祭司たちの手によって一斉に屠(ほふ)られます。ただし、エルサレムの神殿が西暦70年にローマの軍隊によって破壊されてからは、各家庭で食卓を中心に祝われる儀式になりました。ですから、過越の小羊、イスラエルの慌ただしい出発を記念するたねなしパン、奴隷の家での辛(つら)さを思い出させる苦菜(にがな)、また奴隷時代の苦役(くえき)を忍ばせる果物とくるみの調合物(ちょうごうぶつ)を味わい、葡萄酒を四杯のみ、父親は子供との対話で祭りの意義を次のように説明します。

「あなたたちの子どもが、『この儀式はどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これは主の過越の生贄(いけにえ)である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」(出エジプト12.26-27参照)

 ですから、福音記者マルコは、ミサの制定について、まず徐酵祭についての説明から次のように始めます。

「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と。」

 この除酵祭ですが、過越祭に続いて七日間守られるユダヤ教の祭日であります。それはエジプト脱出を記念するため、酵母を入れないパンを焼いたことから、この名称で呼ばれています。

 ちなみに、出エジプト記には、この祭りについて次のような定めが語られています。

「七日の間、あなたは酵母を入れないパンを食べる。・・・あなたたちは除酵祭を守らねばならない。なぜなら、まさにこの日に、わたしはあなたたちの部隊をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、この日を代々(よよ)にわたって守るべき不変の定めとして守らねばならない。正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。七日の間、家の中に酵母があってはならない。」(同上12.15-19参照)と。

 次に、マルコは過越の食事においてイエスが、ミサを制定なさったことを次のように報告しています。「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしの体である。』また、杯(さかずき)を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。『これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』

 このミサについて「ローマ・ミサ典礼書の総則」で、ミサの構造を次のような総括的に説明しています。

「主の晩餐、またはミサは、聖なる集会の儀、すなわち『主の記念』を祝うために、キリストを代理する司祭を司式者として、一つに集まった神の民の集会である。・・・十字架のいけにえが続けられるミサの祭儀において、キリストは、その名のもとに集まった集会の中に、奉仕者の中に、そのことばの中に、現実に、またパンとぶどう酒の形態のもとに本体のまま現存される。ミサは、或る意味で二つの部分から成り立っている。ことばの典礼と感謝の典礼とである。この二つは、一つの礼拝祭儀を構成するほど、互いに緊密に結ばれている。ミサには、神のことばとキリストのからだの食卓が用意され、信者はそこで教えられ、また養われる。」(同上27-28項参照)と。

 そしてミサこそが、教会を成長させ、本来の使命を遂行する原動力であることを、聖ヨハネ・パウロ二世教皇は、その使徒的勧告で次のように強調しています。「第二バチカン公会議は、感謝の祭儀を行うことは、教会が成長する過程の中心であると教えています。・・・教会は、十字架上のいけにえを永久に受け継ぎ、感謝の祭儀のうちにキリストの体と血をいただくことによって、自分の使命を全うするために必要な霊的な力を得ます。したがって、感謝の祭儀はあらゆる福音宣教の源泉であると同時に頂点でもあるのです。』」(『感謝の祭儀の秘義と礼拝について』(21-22項参照)

 久しぶりに再開できた本日のミサによって、また派遣されるそれぞれの家庭、学校そして職場において福音を伝えて行くことができるように共に祈りましょう。

 

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