四旬節第1主日・B年(2021.2.21)

「回心して福音を生きる」

契約に心を留める主なる神(創世記9.15参照)

   早速、今日の第一朗読ですが、創世記が語る洪水物語のテーマである虹の契約についての説明の場面であります。地球上に広がっていた人間の悪を滅ぼす大洪水の只中(ただなか)、神の救いの計画によって建造された箱舟によってノアの家族とあらゆる生き物の二つがいずつが救われました。

 そして、今日の場面になります。神は、すでに天地万物の創造において与えられた祝福を、契約という枠組みによって再確認なさいます。

 「わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。・・・

 あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々(よよ)とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」と。

 まさに、この虹の契約によって、人類とすべての生き物などあらゆる被造物に対して繰り広げられる救いの歴史の舞台設定が整えられたと言えましょう。

 

イエス・キリストの復活によって救われる(一ペトロ3.21参照)

  ですから、続いて今日の第二朗読で、早速、使徒ペトロは、その手紙の中で、ノアの時代と、今度はイエス・キリストの復活によるわたしたちの救いを、見事に関連させています。

「この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。」と。

 従って、福音記者マタイは、復活させられたイエスの、天に昇られる前に、弟子たちに与えられた次のような宣教命令を伝えています。

 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28.18b-20参照)と。

 それではここで、わたしたちが受けた洗礼式を再確認してみましょう。

「司式者は、次のことばを唱えながら洗礼志願者の頭に三度水を注ぐ。

 わたしは

 父と

 子と

 聖霊のみ名によって、

 あなたに洗礼を授けます。」と。

 続いて、受洗者の額(ひたい)に聖香油を塗りながら、次のように祈ります。

 「私たちの主イエス・キリストの父、全能の神は、あなたを罪から解放し、 

 水と聖霊によって新しいいのちを与えてくださいました。

 神の民に加えられた あなたは、神ご自身から救いの香油(こうゆ)を注がれて,大祭司、預言者、王であるキリストに結ばれ、その使命に生きる者となります。

アーメン。」(『カトリック儀式書 成人のキリスト教入信式』参照)

 ちなみに、第二バチカン公会議の『教会憲章』は、特に信徒の召命と使命について次のように宣言しています。

「信徒とは、・・・洗礼によってキリストのからだに合体(がったい)され、神の民に組み込まれ、自分たちのあり方に従って、キリストの祭司職・預言職・王職に与(あずか)る者となり、教会と世界の中で、自分たちの分に応じて、キリストを信じる民全体の使命を果たすキリスト信者のことである」(31項)

 さらに信徒固有の召命が、まさに実社会に直接関わりながら、福音を生きることにあると、次のように強調しています。

「信徒に固有の特質は、世俗に深くかかわっているということである。・・・信徒に固有の召命は、現世的(げんせてき)な事柄に従事し、それらを神に従って秩序づけながら神の国を探し求めることである。・・・それは、自分自身の務めを果たしながら、福音の精神に導かれて、世を清めるために、あたかもパン種(だね)のように内部から働きかけるためである。こうして信仰・希望・愛の輝きをもって、特に自分の生活のあかしを通して、キリストを他(た)の人々に現すのである」(同上31項参照)

 

回心して福音を生きる(マルコ1.15参照)

  それでは、最後に今日の福音ですが、マルコ福音記者が伝えるイエスの出身地ガリラヤでいよいよ宣教活動を開始なさったことを、次のようにいとも簡潔に伝えています。

 「ヨハネが捕らえられた後(のち)、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣(の)べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい』と言われた。」と。

 まず、イエスの先駆者(せんくしゃ)洗礼者ヨハネがその役割を果たし、ヘロデ王によって牢に入れられたので、いよいよイエスの出番(でばん)となったことを確認しています。 

 そこで、早速、ガリラヤで神の福音つまりイエスが生涯かけて伝えた神の国についての良い知らせを伝えるための「時は満ちた」と宣言なさいます。まさに、神の救いの歴史における決定的な恵みの時の到来にほかなりません。

 次に、「神の国は近づいた」つまり、神の愛と慈しみの支配が具体的に実現し始めたという宣言です。確かに、神の国の完成は、世の終わりに栄光に包まれて天使たちを従えて再び来られるイエス・キリストによりますが、今、まさにその完成を目指して神の救いが開始されたというのであります。

 ですから、この恵みに与るために、まず、回心つまり自分の生き方のイエスに向けての方向転換が必要なのであります。

 今まで「悔い改める」と訳して来たギリシャ語の「メタノイア」は、まさに考え方や生き方を変えるという根本的な切り替えを表すことばであります。

 ですから、イエスの「回心して福音を信じなさい」というご命令は「回心して福音を生きよ」というご命令として受け止めることができるのではないでしょうか。

 ちなみに福音書という文学形式をあみだしたのは福音記者マルコですが、その福音書の冒頭で次のように宣言しています。

「神の子イエス・キリストの福音の初め」(マルコ1.1参照)と。

 ですから、「神の子イエス・キリストこそが福音である」と読み替えることが出来るのでないでしょうか。

 この恵みの時四旬節に当たり、共同体全体が洗礼志願者と共に回心して福音を生きるつまり、イエスに言葉と行いにおいて徹底して従うことができるように共に祈りましょう。

 

 

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