主の洗礼・B年(2021.1.10)

「あなたはわたしの愛する子わたしの心に適う者」

聞き従って魂にいのちを得よ(イザヤ55.3参照)

   教会は、典礼歴に従い、主の降誕を、降誕節として十八日間にわたって祝い本日(ほんじつ)の主の洗礼の祝日によって締めくくります。

 それでは、早速、今日(きょう)の聖書朗読箇所を手掛かりに、本日の祝日の意義を味わってみましょう。

 まず、今日の第一朗読ですが、第二イザヤと呼ばれる無名の預言者が、紀元前六世紀ごろ、捕囚地バビロンで、捕囚民に向かって、間もなく故国に帰還できると言う、まさに慰めと希望の預言活動に専念したのがその時代背景と言えましょう。

 ですから、早速、次のような主なる神の慰めの言葉を知らせます。

 「ああ、統(す)べての渇いている者よ、

 水のもとに来るがよい。

 金(かね)のない者も来るがよい。

 穀物(こくもつ)を買って、食べよ。

 ・・・

 わたしに聞き従い、そして良いものを食べなさい。

 ・・・

 耳を傾けよ、そしてわたしのもとに来るがよい。

 聞け、そうすれば、あなたたちの生命(いのち)は生き返る。」と。

 魂の飢えと渇きを、まさに神に立ち帰ることによってこそ、満たすことができるのです。

 さらに、神の語ったことを必ず実現させる力を、次のように強調します。

「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。

 それは必ず大地を潤し、芽を出させ、生え茂らせ

 種蒔く人には種を与え、食べる人には糧(かて)を与える。

 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も

 空しくは、わたしのもとに戻らない。

 それはわたしの望むことを成し遂げ

 わたしが与えた使命を必ず果たす。」と。

 

イエスが神の子であると信じる者(一ヨハネ5.5参照)

  つぎに、今日の第二朗読ですが、一世紀末にヨハネ共同体の指導者が編集したと考えられる第一の手紙の5章の抜粋であります。

 そこで、この手紙がなぜ必要だったのかは、当時のヨハネ共同体内部に生じた異端説を論破し、信徒をその影響から守るためと言えましょう。

 ですから、次のように信仰の核心に触れる大切な教えを強調しています。

 「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。・・・神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。

 神から生まれた人は皆(みな)、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」と。

 まさに、私たちの信仰は、本来的に世と対立(たいりつ)しているだけでなく、具体的には世に打ち勝たなければならないのです。

 ちなみに、この同じ手紙の中で、若者たちへの次のような忠告がしたためられています。

 「若者たちよ、わたしがあなた方に書いているのは、あなたがたが強く、神の言葉があなたがたの内にいつもあり、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。世も世にあるものも愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父(おんちち)への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世からでるからです。世も世にある欲も過ぎ去って行きます。しかし、神の御心(みこころ)を行う人は永遠に生き続けます。」(同上2.14c-17参照)と。

 続いて、イエス・キリストについての説明を、次のように続けます。

 「この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして“霊”はこのことを証(あか)しする方(かた)です。“霊”は真理だからです。証しするのは三者(さんしゃ)で、“霊”と水と血です。」と。明らかに、イエスの十字架上での死の場面を思い起こさせます。

    実に、「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊を御手(みて)にゆだねます。』こう言ってから息を引き取られた。」(ルカ23.46参照)のです。さらに、死後、水(霊のシンボル)が、救いをもたらすために彼が流した血と混ざり、彼の脇腹(わきばら)から流れ出ました(ヨハネ19.334-35参照)。

 このように、この手紙は、洗礼を通してキリスト者の中に現存する聖霊が、私たちの信仰の対象であるイエスについての最高の証しとなると言うのであります。つまり、イエスに対する最高の証しとは、ご自分の子について証しするために御父がお遣わしになった聖霊にほかなりません。

 

あなたはわたしの愛する子わたしの心に適う者(マルコ1.11参照)

  それでは、最後に今日の福音を振り返ってみましょう。

 まず、マルコは、イエスの洗礼の出来事を、その福音書全体のプロローグ(序論)の中に位置づけていること。つまり、イエスの身分と権威を明らかにする重要な役割を果たしているのです。

 ですから、早速、洗礼者ヨハネの証言を伝えます。「わたしよりも優れた方(かた)が、後(あと)から来られる。・・・わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」と。

   したがって、私たちの洗礼式においては、司祭が、「わたしは、父と、子と聖霊のみ名によって、あなたに洗礼を授けます。」と、宣言しながら、受洗者(じゅせんしゃ)の頭に三回水を注ぎます。

 さらに、続いて聖香油を受洗者の額(ひたい)に、次のように祈りを唱えながら塗ります。

「わたしたちの主(しゅ)イエス・キリストの父、全能の神は、あなたを罪から解放し、水と聖霊によって新しいいのちを与えてくださいました。神の民に加えられたあなたは、神ご自身から救いの香油を注がれて、大祭司、預言者、王であるキリストに結ばれて、その使命に生きるものとなります。」と。

 次に、マルコは、ヨルダン川でイエスが、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたとき、見た幻(ヴィジョン)をいとも神秘的に伝えます。

 「(イエスが)水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のようにご自分に降(くだ)ってくるのを、御覧(ごらん)になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適(かな)う者』という声が、天から聞こえた。」と。

 ここで言われている「天が裂けて」ですが、言うまでもなく神ご自身が引き裂かれたという意味です。それは、長く封じられていたものが突然開かれることにほかなりません。

 今日、改めて主の洗礼を祝うことによって、わたしたちも洗礼の恵みを生涯かけて豊かに生きる人生を全うすることが出来るよう共に祈りましょう。

 

 

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