神の母聖マリアの祭日(2021.1.1)

「神の母聖マリアを祝う」

神は御子(おんこ)を女から生まれた者として遣わした(ガラテヤ4.4参照)

   初めに今日(きょう)の祭日の「神の母」という称号について確認してみましょう。

 まず、聖母マリアを「神の母」として崇(あが)めるのは、例えば、すでに433年の春宣言されたアレキサンドリアの司教聖キュロスとアンティオキア教会の諸司教との合同信条で、次のような説明があります。

「神の独り子である我々の主イエス・キリストは、完全な神であり、理性的霊魂と肉体とを備えた完全な人間である。神としては、この世の前に父から生まれたキリストは、終わりの時にわれわれのため、われわれの救いのために処女マリアから人間性を受けて生まれた。・・・こうして二つの本性の一致が行われた。こうして、われわれは唯一のキリスト、唯一の子、唯一の主を宣言する。この混合することのない一致のために、われわれは聖なる処女が神の母(テオコトス)であると宣言する。」と。

 それでは、今日の祭日の意義をより深く悟ることができるように、今日の聖書朗読箇所をそれぞれにふり返って見ましょう。

 まず、今日の第二朗読を見てみましょう。

 この手紙は、使徒パウロの第二宣教旅行中の53年から55年にかけてエフェソからガリラヤ地方の諸教会宛て送ったものと考えられます。しかも、その文脈は、3章21章から始まる「われわれは奴隷ではなく神の子である」というテーマでまとめられている段落に属します。

 ですから、わたしたちが神の子であることの根拠としてまずイエスご自身の身分を次のように要約しています。「神は、その御子(おんこ)を女から、しかも律法の下(もと)に生まれた者としてお遣わしになりました。」それは、「わたしたちを神の子とするためでした。」と、その目的までも明らかにしています。

 そして、さらに説明を次のように加えます。

 「それは、律法の支配下にある者を贖(あがな)いだして、わたしたちを神の子となさるためでした。」と。

 

羊飼いたちは天使が話してくれたことを人々に知らせた(ルカ2.17参照)

 それでは、今日の福音を見てみましょう。

 今日(きょう)の朗読箇所は、福音記者ルカによる福音書の2章からの抜粋であります。このルカですが、他の福音記者にくらべて、最も詳しくイエスの誕生の次第とそれに伴うマリア役割を説明していると言えましょう。

 それでは、少し遡ってこの段落を振り返ってみましょう。

 「天使は言った。恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日(きょう)ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方(かた)こそメシアである。・・・すると、突然、この天使におびただしい数の天使たちが加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心(みこころ)に適(かな)う人にあれ。』

 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いは、さあ、ベツレヘム行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせている乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に伝えた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。」と、特に羊飼いたちの果たした役割、つまり誕生したメシアを人々に告げ知らせるというまさに最初の福音宣教を実践したのであります。

 同じ、ご降誕を祝ったわたしたちは、果たして、羊飼いたちのように一人でも多くの人々に救い主イエスのことを知らせたでしょうか。

 実は、復活させられたイエスは、御父のもとに帰られる、つまり天に昇られる前に、いとも厳かに命じられました。

「全世界に行って、すべての造られたものに福音を延べ伝えなさい。・・・弟子たちは出かけて行って、至る所で宣教した。」(マルコ16.15-20参照)

 ですから、教皇フランシスコは、近年、教会が出向いて行くように切々と励ましておられます。

 「神のことばには、神ご自身が信者たちに呼び起こそうとしている『行け』という原動力がつねに現れています。アブラハムは新しい土地に旅立つようにという呼びかけを受け入れました。モーセも『行きなさい。わたしはあなたを遣わす。』という神の呼びかけを聞いて、イスラエルの民を約束の地に導きました。・・・今日(きょう)、イエスの命じる『行きなさい』というご命令は、教会の絶えず新たにされる現場とチャレンジとを示しています。皆が、宣教のこの新しい『出発』に呼ばれています。すべてのキリスト者、またすべての共同体は、主の求めている道を識別(しきべつ)しなければなりませんが、わたしたち皆が、その呼びかけにこたえるよう呼ばれています。つまり、自分にとって居心地の良い場所から出て行って、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人々に、それを届ける勇気をもつよう呼ばれているのです。」(『福音の喜び』20項参照)と。

 ちなみに、「一年の計は、元旦にあり」と言われているように、この新しい年にこそ、出向いて行く教会になれるよう共同体ぐるみで確認しようではありませんか。アーメン。

 

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