待降節第4主日・B年(2020.12.20)

「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」

 

あなたの身から出る子孫に跡(あと)を継がせる(サムエル記下8.12参照)

  早速、今日の第一朗読ですが、歴史書サムエル記下の7章と8章からの抜粋(ばっすい)であります。

 ちなみに、古いユダヤの伝承によれば、このサムエル記下は、最後の士師サムエルの死後、預言者ナタンと預言者ガドが編集したとのことです。しかも、その背景になっているのは、士師と呼ばれる指導者たちがイスラエル諸部族を治めていた時代の末から、いよいよ王国が誕生しその基盤が整い始めるまでの、紀元前11世紀半ばから紀元前10世紀初期にかけての時代であります。

 しかも、今日の場面は、まず、ダビデ王が預言者ナタンに、神の住むべき家を建てる計画を打ち明けたところから始まります。

 ところが、その夜(よ)、次のような主のことばがナタンにあり、ダビデ王に、次のように告げることを命じられます。

 「あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。・・・あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち滅ぼし、地上の大いなる者に並ぶ名声(めいせい)を与えよう。・・・≪あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国をゆるぎないものとする。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。≫

 あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」と。

 この最後のくだりこそ、典型的なメシア預言と言えましょう。

 ですから、福音記者ルカは、今日(きょう)の福音で、乙女マリアに大天使ガブリエルが現れて、神の子イエスを聖霊によって身ごもることを告げる場面でこの預言が成就(じょうじゅ)することを描いています。

 

お言葉どおりこの身になりますように(ルカ1.38参照)

  それでは、続いて今日の福音を、改めて振り返ってみましょう。

 実は、ルカ福音記者だけが、ナザレの乙女マリアが、大天使ガブリエルから、神の御計画を知らされ、それに信仰をもってお応(こた)えになられたことを詳しく次のように報告しています。

 「天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人の許婚(いいなずけ)であるおとめのところに遣わされた。

 そのおとめの名はマリアと言った。天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」と。

 まず、ここで言われている「ダビデ家のヨセフという人の許婚(いいなずけ)」というくだりですが、「ダビデ家のヨセフ」の許婚という指摘は、イエスが、今日(きょう)の第一朗読で確認したように、まさにイエスがダビデの王座を継ぐという預言の準備にほかなりません。ちなみに、当時、ユダヤの法律によれば、婚約者にはすでに結婚と同じ社会的地位が保証され、その責務をも担う者となることを示しています。

 しかも、天使が、村娘(むらむすめ)に直接、「おめでとう。恵まれた方。主はあなたと共におられる。」と、挨拶するのは、ユダヤ社会ではまさに特別なことと言えましょう。ですから、「おめでとう」とは、「こんにちは」と言うような日常の挨拶ではなく、特別な「喜びの挨拶」であり、「恵まれた方」という意味は、誕生予告の文学形式から明らかになります。つまり、この旧約に由来する形式においては、まず、出現者の挨拶が、それは被出現者に示される将来の使命を役職名で呼ぶことがあると言うのです。

 ですから、マリアの場合、「恵まれた方」という呼びかけは、まさに彼女のこれからの重大な使命を暗示しているのです。

 「すると、天使は彼女に言った。『恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みをいただいたのです。見なさい。あなたは身ごもって男の子を産みます。その名をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王座をお与えになります。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。』と。」

 まず、「神から恵みをいただいて、男の子を産む」という大切な使命、それはメシアの母になるという重大な使命にほかなりません。

 ですから、ここで、「恵まれた方」として、神から特別に与えられた使命が具体化されるのです。

 つまり、先祖ダビデの王座を継ぐ「いと高き方の子」は、ダビデの絶え間のない家系の継承によってダビデ王朝の王たちの王位の最後の継承者としての王という意味ではなく、ここでは、明らかに「ダビデ家のヨセフ」によるメシアの誕生は排除されることを示しているのです。

 すなわち、すでに今日の第一朗読で、確認された「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに据えられる。」というのは、実際の王位継承によって永久に続く王的支配のことではなく、まさに生まれてくるメシアこそが、神の国の完成のために「彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」と、断言できるのであります。

 次に、特にマリアの反応に注目してみましょう。まず、「マリアは、この言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」と言うのは、乙女のショックといったような心理的なものではなく、天使の突然の出現を示す文学的技巧にほかなりません。

 次に、天使のお告げにたいして、率直に「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」と答えます。

 これは、マリアに与えられる使命が人間のほうからではなく、あくまでも聖霊の働きによることを示す形式と言えましょう。

 また、「わたしは男の人を知りませんのに。」と言うのは、許婚(いいなずけ)のヨセフとは、まだ交わりがないという意味ではないでしょうか。

 とにかく、「聖霊があなたに降(くだ)り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」という詳しい説明を聞き、マリアは、全面的に神のことばに聞き従います。

 「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」これこそ、まさにマリアの信仰の原点と言えましょう。ですから、親類のエリザベトを訪問したとき、エリザベトは、マリアに次のような最高の誉め言葉を贈りました。

 「主がおっしゃったことは、必ず実現すると信じたかたは、なんと幸いでしょう。」(同上1.45参照)

 わたしたちも、マリアに倣って、日々、みことばに忠実に聞き従う人生を全うできるように共に祈りましょう。

 


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