待降節第3主日・B年(2020.12.13)

「主の道をまっすぐにせよ」

 

良い知らせを(イザヤ61.16参照)

   早速、今日の第一朗読を振り返ってみましょう。

   まず、今日の箇所は、便宜上第三イザヤと言われるイザヤ書61章の冒頭の抜粋であります。つまり、無名の預言者第三イザヤは、紀元前六世紀末から五世紀初頭にかけてエルサレムにおいて、人々が神への信頼を弱め、自分勝手な生き方に陥(おちい)っていたときに、まさに神をひたすら信頼する生き方に立ち帰るように呼びかけていたのであります。

 ちなみに、今日の箇所は、最初に第三イザヤの召命について、次に神の救いの告知、そして最後にこの救いの知らせを受け入れた者の喜びを述べています。

 特に一節と二節の「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。」ですが、実は、ルカ福音書4章18-19節にも引用されており、故郷(こきょう)に帰ったイエスが、安息日に会堂で聖書を朗読し、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と、力強く宣言した箇所にほかなりません。

 ここで言われている「油を注ぎ」ですが、今日(きょう)の福音では、ヘブライ語の「メシア」(ヨハネ1.21参照)となっており、預言者に任命されるとき、また王に即位するとき、そして祭司になるときに、オリーブ油を頭からたっぷり注がれることを表しております。ですから、「メシア」は、へブライ語では「油注がれた者」を意味します。ちなみにギリシャ語では、「クリストス」となり、日本語では「キリスト」と言います。

 ところで、今日に第一朗読においては、第三イザヤが、預言者としての使命に任命されたことを示しております。ですから、その使命を遂行できるように頭からオリーブ油をたっぷり注がれることによって「主なる神の霊がわたしをとらえた」と言うのであります。 同じように、私たちも堅信を受けたとき、使徒職を実践できるように聖霊を、聖香油で額(ひたい)に十字のしるしによって注がれたのであります。

 とにかく、第三イザヤが遣わされたのは、「貧しい人に良い知らせ(福音)を伝えさせる」ためであり、「打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるため」でした。この使命を、教皇フランシスコは、次のように説明しておられます。「つまり、自分にとって居心地(いごこち)のよい場所から出て行って、福音の光を必要としている隅(すみ)に追いやられたすべての人にそれを届ける勇気を持つよう呼ばれているのです。」(『福音の喜び』20項参照)

 

光について証(あか)しするために来た(ヨハネ1.8参照)

  次に、今日の福音ですが、ヨハネ福音書の1章の冒頭の抜粋で、洗礼者ヨハネについて次のように説明されております。

 「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しするために来た。光について証しするために来た。・・・また、すべての人が彼によって信じるようになるためであった。」と、イエスの先駆者洗礼者ヨハネの使命を確認しております。つまり、洗礼者ヨハネの使命は、光であるイエスを証しすることにほかなりません。では、「証しする」とは、いったいどのようなことなのでしょうか。

 ちなみに、ギリシャ語のmartys は、証人(あかしびと)と殉教者をも意味する言葉です。ですから、証しするには、いざと言うときにはまさに命を懸けなければならないのでしょう。ちなみに、洗礼者ヨハネも、ヘロデ王の命令によって、首をはねられました(マルコ6.27参照)。

 日本の教会においては、江戸時代に大勢のキリシタンたちが、殉教によって彼らの信仰を見事に証ししました。その殉教の一場面を紹介しましょう。ちなみに、ここで紹介される殉教者たちは、2008年11月24日、長崎で列福されました。

 「1619年10月6日、都中(みやこじゅう)を引き回されたキリシタン52人は、鴨川(かもがわ)の近くの大仏(だいぶつ)の真正面に引き出された。そこにはすでに27本の十字架が建てられていた。・・・役人は、南のほうから一番目の十字架にヨハネ橋本太兵衛(たひょうえ)をはり付けた。捕らわれた時から、太兵衛が皆の支えになっていたことを、役人たちは知っていたからである。中ほどの十字架には、太兵衛の身重(みおも)の妻テクラと五人の子どもが十字架に縛られていた。テクラは三歳のルイサをしっかりと抱いて立ち、両横(りょうよこ)には十二歳のトマスと八歳のフランシスコが母親と同じ縄で縛られていた。隣の十字架には十三歳のカタリナと六歳のペトロが一緒に縛られていた。

 鴨川に夕日が映るころ、とうとう火は放たれた。炎と煙の中、『母上、もう何も見えません。』と娘カタリナが叫んだ。『大丈夫(だいじょうぶ)、間もなく何もかもはっきり見えて、皆(みな)会えるからね。』そう励ますと、テクラはいとし子たちと共に、イエスさま、マリアさまと叫び、崩れおちた。母親は、息絶えた後(のち)も、娘ルイサをしっかりと抱きしめたままだったと言われている。」

 

 

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