「世界宣教の日」(2020.10.18)

「全世界に行って福音を宣べつたえなさい」

教皇フランシスコのメッセージから

  本日の「世界宣教の日」にあたって、教皇フランシスコは、全世界の教会に宛ててメッセージを送られました。そのさわりの個所を、抜粋してお伝えいたします。

 「新型コロナウイルス感染症のパンデミックがもたらす苦しみや様々の課題が著しい今年、教会全体は、預言者イザヤの召命物語にある次のことばに照らされながら、宣教の歩みを続けています。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください』(イザヤ6.8参照)このことばは、『だれを遣わすべきか』(同上)という主の問い掛けに対する、つねに新たにされるこたえです。神のみ心から、神のいつくしみから出るこの呼び掛けは、今日(こんにち)の世界的な危機の只中で、教会と人類に向けられています。・・・

 わたしたちは心底おびえ、途方に暮れ、不安にさいなまされています。痛みと死により、人間のもろさを痛感していますが、それと同時に、だれもが生きたい、悪から解放されたいという強い思いを抱いていることに気づかされます。こうした状況においては、宣教への呼びかけと、神と隣人への愛のために自分の殻から出るようにとの呼びかけは、分かち合い、奉仕し、執り成すチャンスとして示されます。神からの各自に託された使命は、おびえて閉じこもる状態から、自分を差し出すことによって自分を取り戻し、新たにされるようにわたしたちを変えるのです。・・・

 宣教は、神の呼びかけへの自由で自覚的な応答です。けれども、その呼びかけは、教会のうちに現存されるイエスとの個人的な愛の結びつきを生きているときにのみ気づくことが出来ます。・・・」と。

 

出向いて行く教会となる

  実は、近年(きんねん)、教皇フランシスコは、今までの内輪向きの教会から出向いて行く教会に思い切って切り変えていくことを、切に呼び掛けておられます。

 たとえば、2013年に全世界の教会に宛てて発布なさった使徒的勧告『福音の喜び』によって、次のように強調なさいます。

 「神のことばには、神が信者たちに呼び起こそうとしている『行け』という原動力がつねに現れています。アブラハムは、新しい土地へと出発するようにという呼びかけを信仰によって受け入れました(創世記12.1-3参照)。モーセも『行きなさい。わたしはあなたを遣わす』(出エジプト3.10参照)という神の呼びかけを聞いて、イスラエルの民を約束の地に導きました。(出エジプト3.17参照)・・・今日(きょう)、イエスが命じる『行きなさい』ということばは、宣教のつねに新たにされる現場とチャレンジを示しています。皆が、宣教のこの新しい『出発』に呼ばれています。・・・わたしたち皆が、この呼び掛けにこたえるよう呼ばれています。つまり、自分にとって居心地のよい場所から出ていって、福音の光を必要としている隅(すみ)に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気をもつよう呼ばれているのです。」(『福音の喜び』20項参照)と。

 ですから、今日(こんにち)のコロナ禍のもと、教会活動もいろいろと制限されておりますが、そうは言っても、教会を月曜から土曜日まで開店休業にするのではありません。教会は、確かにキリストを中心に集まることによって実現するのですが、主日のミサによって、それぞれの家庭、学校、職場そして地域社会においてまさに派遣された教会として月曜日から土曜日まで福音を宣べ伝えて行くことではないでしょうか。

 そのために、福音宣教の土台である聖書をしっかり学ぶ必要があります。

 教皇フランシスコは、同じ使徒的勧告によって、そのことを次のように強調なさっておられます。

 「福音宣教全体は、神のことばに根差し、それを聴き、黙想し、それを生き、祝い、あかしします。聖書は、福音宣教の源泉です。したがって、みことばに聴く養成を受け続ける必要があります。教会は自らを福音化し続けなければ、福音を宣教できません。神のことばを『ますますあらゆる教会活動の中心に置く』ことが絶対に必要です。・・・

 聖書の学びは、すべての信者に開かれていなければなりません。・・・

福音化には、みことばに親しむことが必要です。また、教区や小教区、その他カトリック諸団体には、聖書の学びに真剣に粘り強く取り組むこと、さらに個人や共同での霊的読書を促すことが求められています。」(『福音の喜び』174-175参照)

 

福音宣教はまず家庭から

  因みに、すでにモーセの時代から信仰教育は、まず家庭で始めることが勧められておりました。紀元前13世紀の初頭、モーセは、40年に亘る荒れ野の旅を終えたイスラエルの群衆を前に、約束の地を遥かヨルダン川の向こう岸に望みながら、次のように切々と語りました。

 「あなたがたも子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべて掟と戒めを守って長く生きるためである。・・・

  シェマ(聞け)、イスラエルよ。われらの神、主は唯一の主である。

あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

 今日(きょう)わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子どもたちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときもこれを語り聞かせなさい。」(申命記6.2-7参照)と。

 ちなみに、初代教会の時代から、キリスト者の家庭こそが教会共同体の基礎であるので, 各家庭はまさに「家庭教会」にならなければという伝統があります。

 ですから、いつの時代においても、まず家庭で子どもたちにみことば教育を徹底させることによって、それぞれの家庭が教会になるという伝統を生きなければなりません。

したがって、聖ヨハネ・パウロ二世教皇は、その使徒的勧告『家庭―愛といのちの絆』によって次のように強調しておられます。

 「キリスト者の家庭は福音を受け入れ信仰を深めるにつれて、福音を告げる共同体になります。・・・『家庭は、教会のように、福音が伝えられる場であり、さらにそこから福音が広まって行く場でもなければなりません。

 この使命を知っている家庭では、家族全員が同時に、福音を受け入れながら一方では福音宣教していると言えましょう。

 親は子どもに福音を伝えるだけでなく、子どもから生活に深くかかわった福音を受け取ることができます。このような家庭は、近くの家庭にとって福音宣者となります。」(『家庭―愛といのちの絆』52項参照)と。

 今週もまた、これから派遣されるそれぞれの家庭、学校、職場そして地域社会において、福音を告げ知らせて行くことができるように共に祈りましょう。

 

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