年間第7主日・A年(1996.2.18)【マタイ5:38-48】

天の父の完全さによって変えられる

神の愛による変革

「悪人に手向かってはならない」というご命令は、悪を力、特に武力によって征伐しなければならない、という原理を全く否定しておられる。ごく日常的な次元でもやられたらやり返すべきだと思い込んでいる。多くの親たちもこどもにそのように仕向けてはいないだろうか。

 一方ではマハトマ・ガンジーやマーチン・ルーサー・キング牧師などは無抵抗による抵抗によって、見事に独立や市民権を獲得した。彼らこそまさにイエスの言葉を実践した人たちである。

 争い、対立、暴力そして戦争をこの地上からすべて取りのぞく方法は、力、特に武力行使を全面的に排除することによってしか実現できない。このことを、だれよりも主ご自身が確信しておられたのではないか。

 

正義の実践

「借りようとする者に、背を向けてはならない」愛の実践によって、神の完全さに初めてあずかれる。なぜなら「愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているから」(1ヨハネ4:7)

 しかし私たちは今日(こんにち)、グローバルな不正義と不均衡の構造的悪のなかに生きているので、慈善事業的な援助では不十分であるし、この構造的悪はなくならない。

 すでに旧約時代から、神は正義の実践は信仰の本質的要請であると、訴え続けておられる。

「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を禁じ、軛(くびき)の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し軛をことごとく折ること。さらに飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し、主の栄光があなたのしんがりを守る。(イザヤ58:6-8)

 

敵を愛し、祈る

「敵を憎め」という掟は旧約にもないが、イエスの時代には結局隣人を同胞に限定してしまったのであろう。それはユダヤ人とサマリア人の関係にも示されている(ヨハネ4:9参照)

 しかしイエスこそがこの愛の狭い枠を取り払った方である。主の示される新しい生き方は、絶えず神の愛といつくしみにあずかる生き方に変えられることだからだ。

 分け隔てなく恵みをそそぎ、いつくしみをくださる神の完全さによってのみ「完全な者4」とされるのだ。また神の愛によってのみあわれみ深くなれるのだ。

「敵を愛しなさい。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者になりなさい」(ルカ6:35-36)

 

※1995-96年(A年)カトリック新聞に連載された佐々木博神父様の原稿を、大船渡教会の信徒さんが小冊子にまとめて下さいました。その小冊子からの転載です。