「アブラムは主を信じた 主はそれを彼の義とみとめた」
みことばは人間となり、我々の間に住まわれた
降誕祭の日中のミサで、わたしたちは、「みことばが、人間となられ、わたしたちの間に住むようになった」という素晴らし出来事を、全世界の善意の人々をともに祝いました。
そして、今日、イエスが生まれた聖家族を、祝います。メシアであるイエスは、宮殿や擁護施設ではなく、まさに聖家族の中で生まれたのであります。
神の独り子イエスが誕生するために、まず、ヨセフとマリアが夫婦という家族を選ばれたのは、確かに、神のご計画にほかなりません。つまり、全人類の救いの恵みは、聖家族をとおして注がれるように神が計らったからではないでしょうか。
したがって、まず、この地上にあるすべての家族に、優先的に救いの恵みが注がれるようになったということです。
では、どのようにしたら、この救いの恵みを、それぞれの家庭で豊かにいただくことが出来るのでしょうか。それが、今日の典礼の課題であります。
アブラハムの家族
そこで、早速、今日の第一朗読と第二朗読で登場するのが、アブラハムの家族であります。
実は、このアブラハムこそ神の救いの歴史において、実在の人物として最初に登場します。
彼が、既に 75 歳になっていたときです、突然神からまさに彼の人生における召命を受けます。神は、厳かに彼に向かって宣言します。
「わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように
・・・
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
しがない、一遊牧民の初老の族長に対して、とてつもないスケールの大きい召命が与えられたのです。ところが、彼の家族には、なかなか子宝にめぐまれないという深刻な問題を抱えることになるのであります。
今日の朗読箇所は、彼が、自分がますます歳をとってしまうことに焦りを感じ、とうとう神を無視して勝手に自分の人生設計を立ててしまったときの場面を伝えているのです。
「ご覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家 僕(しもべ)が跡を継ぐことになっています。」
それに対して、神は、はっきりとご自分のご計画を宣言なさいます。
「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」
ここで言われている「あなたから生まれる」とは、まさに実の子と言う意味です。とにかく、養子縁組は、神の御心ではなかったのです。
そこで、神は、早速、彼を天幕から外に連れ出して、問いかけました。
「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」
まず、この天幕から外に引き出されたということですが、まさに自分の考えという天幕から導き出されるということを暗示しているのではないでしょうか。そして、視点を変えて発想転換をしなさいという神の導きといえましょう。
そこで、彼が、星が降るような夜空を眺めることによって、神の約束を確認できたと思います。実は、神はすでに、アブラハムに重大な約束をしているのであります。
「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数え切れないであろう。」(創世 13.16)
ですから、この場面では、大地の砂粒ではく、夜空に輝く数えきれない星になぞらえ、神が多くの子孫を与えることを再確認なさったのであります。
実は、今日の第二朗読で、このアブラハムの信仰を、次のように称賛しています。
「約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだと同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。」
たとえ、自分の考えでことを決めても、神の御心に従い、自分の計画を潔く白紙の戻し、ひたすら神に聞き従う生き方こそが、家庭に豊かな救いのめぐみが注がれる受け皿となるのでないでしょうか。
試練の最中、摂理を生きる
続けて、今日の第二朗読は、アブラハムの家族が体験した最大の試練を信仰によって見事に乗り越えたことを伝えています。創世記では、その場面が次のように感動的に語られています。
「神は命じられた。『あなたの愛する息子独り子イサクを連れて、モリアに行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす捧げものとしてささげなさい。』・・・・
イサクは、言った。『火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。』・・・アブラハムは答えた。『わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊は、きっと神が備えてくださる。』・・・・そして、アブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
・・・み使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは、行ってその雄羊を捕まえ、息子の変わりに焼き尽くす献げもんとしてささげた。」(創世 24.2-13)
どの家庭にも、試練はつきものです。到底乗り越えることが出来ないと思われるような試練に遭遇することもあるでしょう。けれども、アブラハムのように、ひたすら神に信頼し、神に聞き従うことによって、まさに、神の善き計らいをも体験できるのではないでしょうか。
今日の第二朗読で、このアブラハムの信仰について、次のようにコメントしています。
「アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもお出来になると信じていたのです。それで、彼はイサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったと同然です。」
聖家族も、ヘロデ王に幼子イエスの命が狙われているのを、天使から知らされ遠いエジプトに避難しなければなりませんでした。聖家族が、その試練を乗り越えることができたのは、ヨセフがすべて天使をとおして示された神のことばにひたすら忠実に従ったからにほかなりません。
わたしたちのそれぞれの家族に、メシアの豊かな恵みが注がれるよう共に祈りたいと思います。