「おことばどおり、この身になりますように」
メシア預言にさかのぼる
待降節を締めくくるにあたって、今日の典礼のテーマは、メシア預言の成就のために大切な役割を果たしたマリアに焦点を当てています。
実は、このメシア預言ですが、旧約聖書における極めて重要な課題となっていますが、先ほど朗読された今日の第一朗読も、代表的なメシア預言の一つであります。
このサムエル記は、紀元前 6 世紀の終わりごろに書かれたと考えられますが、すでに紀元前 12 世紀から 11 世紀にかけて活躍した二代目の王ダビデに向かって、預言者ナタンが預言した内容を伝えています。
つまり、ダビデ王が神の箱のために神殿を建てなければならないと思い巡らしていたときに、預言者ナタンは、神のことばを告げたのであります。
「わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。・・・・
『あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。』
あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
ですから、この預言を先祖代々語り伝えて来たイスラエルの人々は、まさに実在のダビデ王を理想化し、神の救いの歴史の頂点に到来するメシアをイメージしながらひたすら待ち望むようになったのであります。
一方、メシア預言者の代表者とも言えるイザヤは、また、次のような預言を紀元前 8 世紀ごろ、国の情勢がきわめて不安定な時代、神に全面的に信頼することが出来ず心を揺るがせていたユダ王国の王アハズに向かって、次のような まさに核心に触れる預言をしたのであります。
「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ 7.14)
ですから、福音記者マタイは、このメシア預言の成就として、イエスの誕生を、次のように宣言しています。
「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
『見よ、おとめが、身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。』
この名は、『神が我々と共におられる』と言う意味である。」(マタイ 1.22-23)
神が預言者の口を通して語られたことは、すべてメシアの誕生によって成就したことにほかなりません。
神は我々と共におられる
ですから、ヘブライ人への手紙の冒頭で、神の救いの歴史におけるメシアの使命を、次のように強調しています。
「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られましたが、この終わりの時代には、御子(おんこ)によって語られました。」(ヘブライ 1.1-2)
実は、神は、まさに天地万物を創造なさるときから、すべてことばによってその偉大な救いの御業を始められたのであります。しかも、神のことばそのものである神の独り子こそが、人間となられたメシアにほかなりません。ですから、福音記者ヨハネは、つぎのように受肉の神秘を、その福音の冒頭で荘厳に讃えています。
「初めにみことばがあった。
みことばは神とともにあった。
みことばは神であった。
すべてのものは、みことばによってできた。
できたもので、みことばによらずにできたものは、
何一つなかった。
みことばは人間となり、
われわれの間に住むようになった。
われわれはこの方の栄光を見た。
父のもとから来た独り子としての栄光である。
独り子は恵みと真理に満ちていた。」(ヨハネ 1.1-14)
したがって、メシア預言の実現にまさに中心的役割をになった乙女マリアこそ、みことばであるメシアの母になることを、信仰をもって受け入れたのであります。
福音記者ルカは、今日の福音で、その場面を極めて感動的に描いています。
「マリアはこのことばに戸惑い、いったいこの挨拶はなんのことかと考え込んだ。すると、天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。・・・聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・』マリアは言った。『わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように。』・・・」
このように、みことばである神の独り子をご自分の胎内にお迎えすることによって、マリアは神の大いなる救いの御業の最も重要な協力者となられたのです。ですから、わたしたちも、それぞれの自分の人生の只中にメシアをお迎えすることによって、インマヌエル預言つまり、「神がわれわれと共におられる」を、おことばどおり体験できるようになり、マリアのように神の協力者となったのであります。
ですから、自分の思いて自分勝手に生きるのではなく、いつも主と共に生き、主と共に働くという新しい生き方を始めたのではないですか。それは、メシアのことばを心に留め、常にメシアに聞き従い、協力者となるという生き方にほかなりません。
メシアは、まさに満ち溢れる恵みと真理を携えていつも共にいてくださるのです。しかも、この新しい生き方を実践できるのは、メシアがわたしたち一人ひとりを、また、それぞれの共同体を選んでくさったからです。メシアは、次のように宣言しておられます。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ 15.16)