待降節第1主日・B 年(2014.11.30)

「目を覚ましていなさい」

メシアを待つ

 今日から典礼暦が改まって待降節が始まりました。

 この恵みの季節の呼び掛けは、信仰の姿勢を、まず、主の再臨つまり救いの完成を待ち望むことに集中させることであります。それは、とりもなおさず日々の生活に流されがちなわたしたちの信仰の生き方の原点に立ち帰るということにほかなりません。

 つまり、神の救いの御業がより力強く実現することを、真剣に願い求める姿勢であります。

 ですから、すでに旧約時代においても、イスラエルの民は、神の救いの歴史への決定的な介入を祈り求めたのであります。

 今日の第 1 朗読で、第三イザヤは次のように叫んでいます。

「主よ、あなたはわたしたちの父です。

 『わたしたちの贖い主』、これは永遠の昔からあなたの御名です。どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように。あなたを待つ者に計らってくださる方は神よ、あなたのほかにはありません。」

  ちなみに、パウロは、聖霊の特別な導きによって救いの完成を、次のように描くことが出来ました。

「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、 頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです」(エフェソ 1.10)

 今日(こんにち)の世界の現状は、このキリストを中心にすべてが一つになるという目標からは、遠く隔たっています。この地球上の至る所で、内戦や、民族同志の争い、さらに過激なテロ集団による殺戮は、増えていくばかりです。

 また、豊かな国がますます豊かになり、一方、貧しい国々はさらに貧しくなって行くというまさに世界構造の根源的悪がはびこっています。

 わたしたちは、キリストこそこの地上に真の一致と平和をもたらしてくださると信じているからこそ、世界平和実現のために祈るだけでなく具体的な行動にも参加できるのではいでしょうか。

   平和のために働くことは、同時に世界における貧富の差を出来るだけ減らしていくということにもつながるのです。

 ですから、教皇フランシスコは、次のように力強く呼びかけています。

「すべてのキリスト者とすべての共同体は、貧しい人々が社会に十分に組み入れられるように、彼らを解放し高める神の道具となるよう呼ばれています。それは、貧しい人々の叫びに素直に注意深く耳を傾け、彼らを救うようにと言うことです。・・・貧しい人々の声に耳を傾ける神の道具であるにもかかわらず、わたしたちが彼らの叫びに対して耳をふさいでいうならば、御父の御心と計画の外にその身を置くことになります。・・・そして、貧しい人の必要に対する連帯の欠如は、わたしたちの神との関係に直接影響を及ぼします。・・・『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい』(マルコ 6.37)

 この命令は、貧困の構造的原因を解決するための協力や、貧しい人々の全人的発展を促進するための協力を含むとともに、わたしたちが遭遇するきわめて具体的な窮乏を前にしての、日々の素朴な連帯をも意味しています。」(『使徒的勧告福音の喜び』187-188)

 

目をさましていなさい

 次に、今日の福音で、主は「目を覚ましていなさい」とくりかえし忠告しておられます。

 これは、主の再臨の時が誰にも知らされていないので、気を付けてスタンバイしていなさいという勧告にはかなりませんが、同時に第二バチカン公会議が強調した「時のしるしを見分ける」ことにも通じるのではないでしょうか。

『現代世界憲章』は、次のように教会の責務を宣言しています。

「教会は、つねに時のしるしについて吟味し、福音の光りのもとにそれを解明する義務を課せられている。そうすることによって教会は、現世と来世とのいのちの意味、また両者の相互関係について人間が抱く永久の疑問に対し、それぞれの世代に適した方法をもって答えることができるであろう。・・・」(4 項)

「神の民は、世界を満たす主の霊によって自分が導かれていることを信じ、この信仰に基づいて、現代の人々と分かち合っている出来事、欲求、願望の中に、神の現存あるいは神の計画の真のしるしを見分けようと努める。実際、信仰は、あらたな光をもってすべてを照らし、人間の十全な召命に関する神の計画を現し、こうして真に人間味ある解決に向けて知性を導く。」(11 項)

 ですから、目を覚ましているとは、まさに、時のしるしを福音の光のもとで読み取り、全宇宙と全世界が確実に神の救いに与かることができるように具体的な行動を起こすことにもなるのではないでしょうか。

 たとえば、この地上からすべての原発を廃止するためにまさに預言的アピールを継続することや、日本の平和憲法を守りぬくために、戦争に向かう今日の日本の政治を変えていくための連帯を強めていくことなど、まさに預言的行動を起こす時ではないでしょうか。

 

時は満ち、神の国は近づいた回心して福音を信じなさい

 この待降節に当たって、目を覚ましているというのは、まさにわたしたちの信仰の原点に立ち返って、人々に神の国の到来を、改めて知らせる時期ではないでしょうか。

 イエスが人々前に立たれて開口一番次のように叫ばれました。

 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ 1.14)

 また、この地上に真の平和を築いていくために、まず、身近なことから始めるべきことを次のように強調なさいました。

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。・・・人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」(ルカ 6.27-31)

 目を覚ますことは、これらイエスの福音を、日々関わる人たちに、新たな熱意と、新たな方法や表現によって告げ知らせる事ではないでしょうか。

 今年も、イエスを知らないままクリスマスを迎えようとしている人たちに救い主イエスを知らせる必要があります。

 今週もまた、信仰の目をしっかりと見開き、派遣されたそれぞれの場で、主の福音を告げ知らせることができるように共に祈りたいと思います。