「あなたがたが出かけて行って実を結び その実が残るように」
「世界宣教の日」の教皇メッセージ
「世界宣教の日」にあたり、教皇フランシスコは、全世界に向けてメッセージを発表なさいました。その冒頭の呼びかけを、引用したいと思います。
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、
大多数の人々は、まだイエス・キリストを知りません。そのため、人々への宣教は引き続き緊急の課題となっています。教会のすべての構成員は、この使命に参加するように呼ばれています。なぜなら、教会は、その本質上、宣教者であり、『出かけて行く』ために生まれて来たからです。世界宣教の日は、さまざまな大陸の信者たちが、宣教地の若い教会を祈りと具体的な連帯の行動によって支援する特別な日です。そして、それは恵みと喜びの日でもあります。それが恵みの祝日であるのは、御父がお遣わしになった聖霊が、その働きに従順な人々に知恵と力を与えてくれるからです。それが喜びの祝日であるのは、御父の子であり、世界に福音をのべ伝えるために遣わされたイエス・キリストが、わたしたちの宣教の努力を支え、ともに歩んでくださるからです。・・」
このメッセージを、受け止め、わたしたちも一人でも多くの人々にイエス・キリストを伝える教会の大切な使命にどのようにあずかることができるのか、イエスのおことばを手掛かりに、一緒に考えてみたいと思います。
人がわたしにつながっていれば、多くの実を結ぶ
まず、最初の選んだのは、福音記者ヨハネが伝える最後の晩さんの席上で語られたイエスの告別説教の次のようなおことばであります。
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。・・・あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものをなんでも願いなさい。そうすればかなえられえる。」(ヨハネ 15.4-7)
イエスにしっかりつながることができるのは、イエスのおことばを、心の中にいるからにほかなりません。ですから、まさに、日々、イエスからおことばをいただき、それらを深く味わい霊的な糧にすることではないでしょうか。
ちなみに、みことばの力については、すでに預言者イザヤが次のように強調しています。
「わたしに聞き従えば
良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂にいのちを得よ。」(イザヤ 55.2b-3b)
そして、特に、しっかり受け止めなければならないイエスのおことばは、次の力強いご命令です。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。・・・わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ 28.18b-20b)
宣教活動は、常にイエスと共に実践することにほかなりません。
ですから、マルコ福音記者も、次のように確認しています。
「一方、弟子たちは、出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。」(マルコ 16.20)
イエスとの出会によって宣教者となる
次に、イエスとの出会いよってこそ、宣教者になれるという実例を振り返ってみたいと思います。それは、ヨハネ福音が伝えるサマリアの女の体験であります。
「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠のいのちに至る水が湧き出る。』女は言った。
『主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。』・・・女は言った。『わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。』イエスは言われた。『それは、あなたと話しているこのわたしである。』・・・女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。『さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、このがメシアかも知れません。』人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。・・・」(ヨハネ 4.13-30)
人目をさけて、暑い昼のに水を汲みに来なければならないような生き方をしていたこのサマリアの女は、メシアであるイエスとのまさに感動的な出会いを体験し、早速どうどうと人前に出で、福音を告げ知らせることができたという素晴らしいエピソードです。
わたしがあなたがたを選んだ
最後に、初めに引用した告別説教に再び戻りたいと思います。イエスは続けて次のように宣言なさいました。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものはなんでも与えられるようにと、わたしがあなた方を任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
愛の実践こそ、宣教活動の土台にほかなりません。互いに愛し合いなさいというイエスのご命令に一人でも多くの人々が従うことが出来ように人との関わりの輪を広げて行くことではないでしょうか。
今週もまた、それぞれ派遣される場で、福音を伝えて行くことができるように共に祈りたいと思います。