四旬節第1主日・A年(2014.3.9)「追悼と復興祈願ミサ」

「神の口から出る一つ一つのことばで生きる」

 

四旬節の意義
 先週の水曜日に、「灰の水曜日」のミサをささげ、いよいよ四旬節に入りました。
 この恵みの季節に当たって、四旬節の由来を簡単に振り返ってみたいと見ましょう。
 実は、すでに四世紀以来、復活祭の前の 40 日間の準備期間があったことが確認されています。
 ちなみに、まず、聖書的背景をたどってみますと、『創世記』では、ノアの洪水物語で、40 日 40 夜雨が降り続いたと記されています(創世記 7.4 以下参照)、また、イスラエルの民は、乳と蜜の流れる約束の地に辿り着くまでに、なんと 40 年間にわたって荒れ野を旅しなければなりませんでした。
 そして、新約聖書では、きょうの福音にありますようにヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたイエスは、聖霊に導かれ荒れ野で 40 日間も断食した後あと、悪魔から誘惑を受けられたことが報告されています。
 ですから、聖書においは、40 という数字が、まさに試練や訓練の期間を象徴していると言えます。
 そこで、典礼的には、主の過越を記念する二日間の断食がすてに2世紀に始まり、この断食を 3 世紀には聖週間全体にまで広げました。
 とにかく、4 世紀には、「40 日間」の復活祭の準備期間の典礼が確立しました。
 さらに、この 40 日を洗礼志願者の受洗への準備期間として共同体全体の典礼に発展させました。
 ですから、洗礼の恵みの再確認と回心が、この四旬節の課題となったのです。
 具体的には、今日(こんにち)のように、たとえ断食を二日間に短縮しても、祈りと愛の実践と償いの業に励む大切な時期にしなければなりません。ちなみに毎年、全世界の教会が実践している「四旬節―愛の献金」は、そのシンボルにほかなりません。

 

誘惑の手口を探る
 さて、今日の第一朗読ですが、『創世記』が語るアダムと女が誘惑者蛇に負けて神に背いて罪を犯してしまったという悲劇が選ばれています。
 まず、土の塵(ちり)で造られたアダムと、彼のあばら骨から造られた女が登場します。彼らは、エデンの園というまさに理想的な生活環境に恵まれていました。その園の様子は、次のように描かれております。
「主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。」
 人は、この園において土を耕し、そこを守る使命がありました。しかも、神のことばに従う、つまり神の掟を守る責任があります。
 ですから、さっそく、「善悪の知識の木からは、決して食べてはいけない。食べると必ず死んでしまう。」という極めて厳しい掟が課せられました。
 これは、人間が、決して神のように全知全能ではなく、限界のある存在なので、神の絶対的権威に従い、まさに自らの分をわきまえよということです。
そこで、誘惑者蛇は、狡猾にも、早速、まず神のことばに疑いをもたせる手口で誘惑します。ですから、蛇は女にささやきます。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神はいわれたのか。」と、まず神のことばをすべて否定的に変えています。
 これに対して、女は、「触れてもいけない」という言葉を付け加えて答えました。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神さまはおっしゃいました。」
 次に、蛇は、誘惑の第二ステップとして、神のことばを全面的に否定したうえで、極めて魅力的なことを暗示します。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
 神のことばではなく、誘惑者の言葉を信じてしまった女は、現実のとらえ方が全く変えられてしまいます。
「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆してそそのかした」
 しかも、一緒にいたアダムにも渡し、彼はいとも素直にそれを食べてしまったというのです。まさに誘惑の連鎖反応にほかなりません。


神の口から出る一つ一つのことばで生きる
 次に、今日の福音は、イエスがどのようにして悪魔の誘惑に打ち勝たれたかを、極めて具体的に教えてくれます。
 まず、最初に確認できることは、悪魔の誘惑と聖霊の導きが同時進行しているということです。マタイは次のようにその経緯を説明しています。
「その時、イエスは悪魔から誘惑を受けるめ、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた」
 ですから、ルカは、その場面をもっと大胆に描いています。
「そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた」(ルカ 4.1-2)
 とにかく、イエスが受けられた誘惑は、今日の世界に只中で、頻繁に体験する誘惑ではないでしょうか。
 まず、一番目の誘惑つまり、「石がパンになるように命じる」ですが、気を付けないと、生きて行くために必要な衣食住の確保のために気を取られ、大切な神のことばによって生きることを、自分の生き方から全く省いてしまう誘惑です。

 ですから、イエスは、みことばで誘惑に打ち勝たれました。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つのことばで生きる。」
 二番目の誘惑に対抗して、イエスは、再びみことばで反撃します。
「あなたの神である主を試してはならない。」
 現代の偶像を拝んでいるため、神に対する全面的な信頼を持つことが難しくなって来ています。
 ですから、三番目の誘惑、つまりこの世の繁栄と権力に頭をさげてしまうことに対して、イエスは、みことばを宣言なさいました。
「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。」
 今週もまた、日々みととばをしっかり食べて、あらゆる誘惑に打ち勝つことができるように共に祈りたいと思います。