年間第 2 主日・A年(2014.1.19)

「世の罪を取り除く神の小羊だ」

 先週すでに話したように、教会の典礼は、再び年間に入りました。

 この期間には、キリストの神秘(秘義)全体を思い起こし、祝います。そして、主日には、朗読聖書として選ばれた聖書の箇所から、多くの場合その日のテーマを読み取ることができます。

 

キリスト者としての召命

 それでは、さっそく今日のテーマを探してみましょう。

 まず、第一朗読ですか、パウロは、キリスト者とは、キリスト・イエス によって聖なるものとなるよう神から呼ばれた者であると断言しています。ですから、「キリスト者とはだれか」が、今日のテーマと考えられます。

 ちなみに神に呼ばれることを、召命という言葉で表します。したがって、すべてのキリスト者が、召されて聖なる者とされたと簡潔に説明しています。 

 つまり、キリスト者としての召命が、司祭職への召命や、修道生活への召命の土台になっているというのです。

 ちなみに、第二バチカン公会議の教会論によれば、すべてのキリスト者は、神の民に属しキリストの祭司職・預言職・王職にあずかっているので、まさに神の民の全員が、神の前で平等であり、しかも教会の宣教・司牧活動に対して共同責任を担っていることを再確認しました。(『教会憲章』11~12 項参照)

 また、パウロは、聖なる者とされたと言い切っていますが、キリスト者全員がいわゆる聖人になったということではなく、実は、洗礼によってすべてのキリスト者は、聖なるキリストに結ばれた者となったので、まさにキリストによって聖なる者とされたことにほかなりません。

 

教会は野戦病院であれ

  ところで、先日、書店で偶然に『中央公論』の 20⒕年1月号に掲載されている教皇フランシスコに関する記事を見つけ、早速購入しました。しかも、この雑誌表紙には、教皇様の写真と、「教会は野戦病院であれ」というタイトルが付けられております。大変興味ある記事なので、その内容を少し紹介したいと思います。

 実は、この記事は、ローマで発行されているカトリック系の雑誌 Civilta Catholica の編集長のアントニオ・スパドロ神父が、教皇フランシスコとの単独インタビューをまとめたものです。このインタビューで教皇は、歯に衣を着せることなく、まさに単刀直入に重大な問題について、次のような極めて適格な発言をしておられます。

「教会が今日(こんにち)最も必要としていることは、傷を癒す能力です。信ずる人たちの心を温める力です。教会を身近に感じる親しさです。教会は戦場の後方にあるさしずめ野戦病院ではないでしょうか。たとえば、重い傷を受けた人に、コレステロールや血糖値を尋ねても全く意味がありません。そこで必要なのは、まず傷ついた人々を癒すことにほかなりません。・・・

 今、最も必要としていることは、“イエス・キリストは、すべての人を救われた”という良い知らせ(福音)です。ですから、教会の司牧者たちは、何よりもまず慈悲の司牧者でなければなりません。・・・ですから、わたしは母であり同時に司牧者である教会のイメージを夢見ています。・・・とにかく、教会は人々の人間性に対して責任をもって対処しなければなりません。したがって、まず隣人の傷を洗い、手当をし、起き上がらせる善きサマリア人のように、人々に寄り添っていかねばなりません。これこそ純粋な福音ではないでしょうか。・・・」

 まさに的を射たとても励みになるお言葉です。仙台教区が、いよいよ地区編成へ大きく舵をとり、新たな希望を抱いて船出するにあたって、基本的な方向づけを与えておられるように受け止めることができるのではないでしょうか。

 

 世の罪を取り除く神の小羊だ

 イエスの先駆者である洗礼者ヨハネは、いみじくもイエスがどなたであるかを、一言で信仰告白をしました。「世の罪を取り除く神の小羊。」

  私たちは、年間を通して、地域の方々にこのイエスをあかし続ける召命を神からいただいています。

 これからは、近隣の教会とさらに交流し、協力し、連帯してこの地方にイエスをあかししていくのです。

 それは、まず、イエスがだれであるかを知らせることですが、そのためには、地域の人々との日頃の関わりを広げ、深めていくことが不可欠です。つまり、具体的な接点を作り出して行くことです。

 先日も、三沢からわざわざこの聖堂で祈るために若い女性が訪問しました。彼女曰く、「失恋の痛手を、ここで祈ることによって癒して欲しいのです」

  また、昨年の夏でしたが、別居中の母親に経済的な援助を求めて、なんと自転車で三沢から訪ねて来た青年です。あいにく、母親が不在で、しかたなく引き返そうとしたとき、十和田のカトリック教会のことを思い出し、きっと神父さんならなんとか助けてくれるのではと思い、早速訪ねて来ました。

 これも昨年の話しですが、新渡戸記念館と教育委員会の共同企画で、地元の小学生が、市内の由緒ある老舗や、歴史的な建造物を取材し、大きな壁新聞を作り銀行内などに張り出すというプログラムで、この教会をも記念館の学芸員に付き添われて小学生のグループが、新聞記者と一緒に訪問してくれました。

 わたしたちも、洗礼者ヨハネと一緒に、地域の人々に、「イエスこそ、世の罪を取り除く神の小羊だ」とあかしできるように、共に祈りたいと思います。