聖家族・A 年(2013.12.27)

「愛は、すべてを完成させる絆」

聖家族の祝日の由来

 降誕祭を盛大に祝った私たちは、来年の 1 月 12 日の主の洗礼の祭日までの期間を、降誕節として主の降誕を盛大に祝い続けます。

 そして、その八日間に入る日曜日には、聖家族の祝日を祝います。ですから、主の降誕の出来事が、聖家族の只中において実現したことを、典礼においても確認するのであります。

 では早速、今日の第一朗読を簡単に振り返ってみましょう。

 この箇所は、『旧約聖書』にある『シラ書』から取れています。今日の『聖書と典礼』の二頁目の下の欄にありますように、この書物は、おそらく紀元前 200 年ごろすでにオリエント世界にギリシャ文化が栄えた時代に、ユダヤ人たちが自分たちの信仰の伝統を再確認するために書かれた「教訓書」であります。

 ですから、今日の箇所で、ユダヤ人たちが親子関係を信仰に基づいてどのよういにとらえているかがはっきりと示されています。

 「主は、子に対する権威を父に授け、 子が母の判断に従う義務を定めておられる。」

  戦後、日本における親子のあり方は、戦前に比べて大きく変わりましたが、特に核家族化し、以前のような二世代、三世代が同居する大家族制度がくずれてしまい、それに伴って親子関係の有り方も大幅に変化したのではないでしょうか。特に、親の子に対する権威が弱められたようです。

 とにかく、紀元前 2 世紀におけるユダヤ社会では、「主は、子に対する権威を父に授け」と、親子関係をあくまでも神との関係の中で受け止めるのであります。「父を敬う者は、長寿に恵まれ、主に従う者は、母を安心させる。・・・主は、父親に対するお前の心遣いを忘れず、罪を取り消し、お前を更にたかめてくださる。」

 さて、わたしたちのそれぞれの家庭のあり方はどうでしょうか。信者の家庭においても、気をつけないと、まさに神不在の関係に成り下がってしまうのではないでしょうか。

 そもそも、すでに出エジプト時代に授かったといわれる十戒ですが、第五戒は「あなたの父母を敬え。」ですが、これは、あくまでも家族における宗教生活の秩序を示しているのであります。つまり、親は、神をこの地上で代表するあり方が求められているのです。

 ですから、神を敬うのは、親が子に対し、すなわち次世代に対して重大な責任を担っているからにほかなりません。

 

愛はすべてを完成させる

  ところで、今日の第二朗読で、パウロは家族関係だけでなく、まず、私たち一般的な人間関係の有り方の基本を、極めて明に教えてくれます。

「あなたがたは、神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。・・・これらすべてに加ええて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。・・・

 子どもたち、どんなことについても両親に従いなさい。それは、主に喜ばれることです。父親たち、子どもをいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。」(フランシス会訳:子どもたちを無気力にさせないためです。)

 

預言者を通して言われていたことば実現するために

 次に、福音記者マタイは、今日の福音で、聖家族の歴史はすべて預言者たちが前もって預言していたことが、すべて成就するためであることを、強調しています。

 幼子イエスの誕生という全人類にとってまさに最高の喜ばしい出来事のあとには、早くもその幼子の命が狙われるという深刻な試練に、聖家族は遭遇しなければならなかったのは、なぜですか。それは、ホセアの次のような預言が実現するためだったとマタイは念を押しています。

「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した。」(ホセア 11.1 参照)

 とにかく、「エジプトへの逃避行」と、「エジプトからの帰国」という聖家族の最初の試練では、主の天使が夢の中でヨセフに命令します。

「起きて、子どもとその母を連れてエジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこに留まっていなさい。」

  実は、わたくしの家族も、昭和 20 年の 8 月 13 日、それまで暮らしていた旧満州の田舎から、引揚げ列車で急いで脱出しなければなりませんでした。 鉄道が、満人たちによって爆破されるというのです。

 一年にわたる逃避行の末、幸いにして昭和 21 年の春、引揚げ船の最初の便で、佐世保に上陸することができました。すべては神の計らいでした。試練の最中でこそ、神はすべてを、必ず善きに計らってくださいます。そして、聖家族のように私たちのそれぞれの家族も、神の救いの歴史の一齣(ひとこま)を生きることになるのではないでしょうか。

  次に、ヨセフは、同じ天使の命令によって、再びイスラエルの地に帰って」来ます。ちなみにこの「帰って来た」という言い回しは、『旧約聖書』にある『申命記』が語る約束の地(乳と蜜の流れる地)への入国を述べる言葉にほかなりません。(申命記 27.3 参照)

 ところで、ヨセフたちを待ち受けていたのは、なんとヘロデの息子アルケラオでした。たちまちヨセフの心に再び大きな不安がよぎりました。しかしながら、神の摂理を信じているヨセフは、神の御計画に従うという原則を貫きました。それもすべて、「預言者たちを通して言われたいたことが実現するためでした。」

  今年一年を締めくくるに当たって、聖家族のように神の御計画に従うことができたことを感謝し、また、新しい年も、神のみ旨に忠実に従って歩むことができるように共に祈りたいと思います。