(仙台教区)平和を求めるミサ(2013.8.11)

「新しい人に造り上げて平和を実現し」

 日本カトリック平和旬間の由来

 今年もまた、「日本カトリック平和旬間」を迎え、仙台教区では、本日、一斉に「平和を求めるミサ」をささげています。

 ですから、今日また改めて、この平和旬間の由来を振り返ってみたいと思います。

 1981 年(昭和 56 年)の 2 月 23 日から 26 日まで、教皇ヨハネ・パウロ二世は初めて日本を訪問なさった時の 25 日の早朝 6 時 30 分に上智大学で、「教育関係者との集い」でスピーチをなさった後、8 時 10 分に羽田空港に到着し、特別機で広島に向けて飛び立たれ、10 時 20分に広島の「平和公園」に到着し、30 分には広島市長の挨拶に続き、教皇は、全世界に向けて力強く「平和アピール」を訴えられました。皆様のお手元にある式次第の裏に書かれているのが、その時の冒頭の叫びです。

 「戦争は人間の仕業(しわざ)です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の町、この平和記念堂ほど強烈にこの真理を世界に訴えている場所は他にありません・・・」

 最初は、何と日本語で話されたのです。次いで英語で次の有名になった宣言をなさいました。

「本日、わたしは深い気持ちに駆られ、『平和の巡礼者』として、この地にまいり、非常な感動を覚えています。わたしがこの広島平和公園への訪問を希望したのは、過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信を持っているからです。・・・」

 同じ年の5月 19 日から 22 日まで開催された「司教協議会定例総会」で、『平和と現代日本カトリック教会―教皇「平和アピール」に応えて―』の公表を決定しております。

 ついで、翌年の 1982 年 5 月 31 日から 6 月 5 日までの司教協議会定例総会で、8 月 6 日から15 日までを、「日本カトリック平和旬間」とすることを決定し、早速、同年の 8 月 6 日から 15 日に「第一回日本カトリック平和旬間」が開催されたのです。ですから、今回が第 31回となります。

 

もはや戦うことを学ばない

 ところで、今日のミサは、典礼歴の年間の主日のミサではなく、教区本部で準備した「平和を求めるミサ」の式次第によってミサをささげています。

 では、早速、第一朗読箇所に注目してみましょう。この箇所は、紀元前8世紀に南のユダ王国で活躍した偉大な預言者イザヤが書いたと考えられる第一イザヤからとられています。ですから、その時代背景は、当時のオリエント世界に強力な軍事力によってもたらされたいわゆる「アッシリアの平和」が実現していた時代です。当時の軍事大国であったアッシリアに代わって、まさに神ご自身が到来させる「真の平和」を、イザヤは雄弁に預言したのです。

 

 「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる」

 まず、「終わりの日に、」と念を押しています。つまり、神がなさろうとしていることの確実性と、現在の準備の緊急性を強調しているのです。エルサレムにあるシオンの丘は、神の神殿があるので、「どの峰よりも高くそびえる」と誇っているのです。

 そこで、多くの民は、叫ぶのです。「主の山に登り、ヤコブの家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう。」

 そこで、「主の教えとみことば」を見出すことができるからです。

 そして、パウロが、強調しているように、神ご自身がわたしたち一人ひとりを、新しい人に造り上げてくださるのです(エフェソ 2.15 参照)。

 また、軍事大国である戦勝国が、敗戦国を裁くのではなく、なんと、「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる」のです。

 さらに、この地上にあるすべての武器が、農耕の道具に造り替えられるというのです。そして、「もはや戦うことを学ばない」ときが、かならず到来するのです。つまり、戦いの精神構造は、この地上において全面的に消滅してしまうと言うのです。ですから、同じイザヤは、弱肉強食の論理に代わって共生の論理が実現することを、次のような美しいイメージで預言しています。

「狼は子羊とともに宿り、豹は子山羊と共に伏し、子牛は若獅子と共に育ち、小さい子どもがそれらを導く。牛は熊とともに草をはみ、その子らはともに伏し、獅子は牛のように藁を食べる。」(イザヤ 11.6-7)

 

平和をもたらす人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる

 次に今日の福音によれば、平和は、復活のイエスによって与えられ、しかも同時に聖霊が吹きこまれると宣言されています。確かに、旧約聖書においても、また、今日の第一朗読でも明らかなように真の平和は、神によって初めて実現するまさに恵みの充満にほかなりません。しかしながら、マタイの福音が伝える、イエスの山上の説教では、「平和をもたらす(実現する)人は幸いである。」と宣言されています。

 同じように、例えばヘブライ書でも、平和について次のような勧告があります。すなわち、「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。」(12.14)。また、ヤコブの手紙には、次のようなくだりがあります。「義の実りは、平和を実現する人たちのよって、平和のうちに蒔かれる。」(4.18)

 最後に、ロングセラーになった漫画によって特に子どもたちに原爆の恐ろしさを訴え続けた被曝者の漫画家中沢啓二さんの遺書の一部を紹介したいと思います。

「2011 年 3 月 11 日、わたしは、テレビから流れる津波の映像に、自然の驚異というのは、なんと恐ろしいことだろうと思いました。その後の福島の原発事故は、『やっぱり来たか』という感じで受け止めました。ぼくは以前から、日本は地震列島なのだから、原発に頼るのは非常に危険だと思い、原発には反対でした。『原爆と原発は違う』と言って、この地震の多い国で原発を増設してきた日本政府、それをだまって受け入れてきた日本人に、憤りを感じてきました。1995 年、戦後五十年の年に、ぼくはテレビ朝日の企画で、世界の核実験場や原子力発電所に足を運びました。・・・中でも、旧ソ連(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所を訪れたことは、とても強烈な体験でした。・・・チェルノブイリの事故が起きてから、そのとき十九年もたっていたのに、まだ危険なのです。放射能と言うやつは、人間が制御できる代物じゃないと感じました。・・・福島のことを考えると、今もあのころと事態はあまり変わっていないように思います。唯一の被爆国なのに、放射能のことが正しく理解されていないことは、なんと情けないことでしょうか。」

  この地上に真の平和を実現させるために自分にできることから行動に移ることができるように共に祈りたいと思います。