年間第 15 主日・C 年(2013.7.14)

「その人の隣人になる」

永遠のいのちを受け継ぐ

 ただ今の「福音朗読」は、新約聖書の三番目の書物である『ルカによる福音』からとられた朗読箇所であり、よく知られた「良きサマリア人の譬え」がその内容になっております。

 しかも、日本においても「キリスト教は愛の宗教である」という定評があるとすれば、まさにキリストの教えの核心に触れる箇所と言えるかもしれません。

 福音記者ルカは、偉大な異邦人の使徒パウロの協力者として活躍した「医者ルカ」と呼ばれた人物であり、独自の『福音書』を書きあげ、特に「神の愛と憐れみ」を強調しているのかその特徴であります。ですから、今日の箇所も、まさに「愛の掟の実践」の大切さを見事に強調している極めて重要な内容となっています。

 早速、本文の説明に入りたいと思います。

 まず、『ルカによる福音』の文脈によれば、今日の箇所は、イエスがエルサレムにおける最期を決意して、弟子たちと一緒にエルサレムへ向かって最後の旅に出発した道中での教えにほかなりません。ですから、ルカは、「そのとき」という一言で、今日の主題に入っています。

 そこで、登場するのが、「律法の専門家」であります。当時のユダヤ社会においてはまさにエリート集団に属するいわば宗教的指導者であります。ですから、ユダヤ人の生き方に関する掟については、誰よりも精通していたグループでありました。従って、イエスに対して投げかけた質問は、直接、律法についての問いではなく、「何をした

ら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょう」という切り口でした。

 ここで言われている「永遠の命」ですが、本来、古代イスラエルでは、まず「長寿」が神の祝福とされており、次第に「死に対する勝利」、あるいはいわゆる「永遠の命の信仰」として明らかになり、これが完全に実現するのはイエス・キリストにおいてであるというのが一貫した主張であります。

 次に「受け継ぐ」という言い回しですが、まさにユダヤ教独得の言葉遣いで、「神が与えたものを貰い受ける」、しかも、ただ単に「貰う」のではなく、あくまでも神がイスラエル民族の与えたものを、その民族の者たちが「遺産として継承する」というのか本来の発想でしたが、それが宗教的救いと言う一般的な意味になったのではないでしょうか。ですから、ここでの質問は、「真に救われるためには何をなすべきか」というまさに実践的な問い掛けだったと言えます。

 そこで、イエスは、当然のことながら律法の専門家に対しては、「律法には何と書いてあるか。あなたそれをどう読んでいるか」と切り返しました。

 ここで、おそらくイエスは、彼らが律法を実際に守っていないのに気付いておられたかのように「なんと書いてあるか、どう読んでいるか」とあくまでも知識のレベルでの問い掛けをなさっています。

 ですから、法律家は、即座に答えることができました。

「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

 これらの掟は、すべて旧約聖書からの引用でして、法律の専門家だけでなく一般のユダヤ教徒も、最も大切な掟であるという理解はあったようです。

 ですから、イエスは即座に確認なさいました。

 「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば 命が得られる。」

 まさに、いくら正解を頭で理解していても、実行が伴わなければ永遠の命を得ることは、決してできないことを強調なさいます。

 けれどもこの法律家は、自分が実行していないことを正当化するために、さらなる質問を投げかけます。

「では、わたしの隣人とはだれですか。」

 ちなみに、ここで言われている「隣人」という言葉ですが、いわゆる向こう三 軒両隣のことではなく、ユダヤ教においては、同じユダヤ教の信仰を持ち、同じように「ユダヤ人」として生きている者だけを指します。ですから、あくまでもユダヤ教共同体の内部結合を維持するだけであって、いわゆる異邦人や、律法を守らないために宗教的に汚れている人たちも除外されています。

 

行って、あなたも同じようにしなさい

 ところで、自分を正当化しようとして投げ掛けた質問に割り込むように、イエスは、唐突に具体的な譬えを語り始めます。 「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた」

 このエリコは、ヨルダン渓谷の南部にあった大きな町で、地中海よりも250 メートルも低く、標高 750 メートルにあるエルサレムからは、一挙に千メートルも下った所にあります。当時エリコは、祭司の町であり、エルサレムの神殿で務めを終えたこの祭司も大変な下り道を帰ったのでしょう。けれども、強盗に半殺しにされた人を見ると、道の反対側に避けて通り過ぎます。次にレビ人つまり、世襲的に宗教的公務の補佐的役割を果たしていた代表的知識階級ですが、同じように、道の反対側に避けて通り過ぎます。皮肉なことに、よりによって二人とも模範を示すべき宗教家だったのです。

 ところが、三番目に登場したのは、よりによってサマリア人でした。彼らは正統なユダヤ教から離れて異教化していたので、ユダヤ人からは軽蔑されていて、当時サマリア地方を通過することをも避けていたというのです。

 けれども、このサマリア人こそが、ユダヤ人に対して愛の実践を見事になしとげました。

 かれこれ、30 年ほど前の体験になりますが、キリスト教の援助組織から貧しいフィリピンの子どもたちへの援助金を直接届ける役を引き受けたことがあります。それは、山岳地帯の美しい町バキオにあるチルドレン・センターつまり、擁護施設と学校が一緒になっている修道会が経営しているカトリックの施設の子どもたちを、精神的里親になった日本人から集めたかなりの額の義援金を、その施設長のシスターに直接手渡した時です。

 実は、そのシスターは、かつての太平洋戦争の最中さなか、まさに激戦地となったバギオで当時赤ん坊だった彼女は、一人置いてきぼりになり、そこに侵入した日本兵に銃剣でほほに傷つけられただけで、命は救われたのでした。その彼女が今ででは、大勢の善意の日本人から援助を受けているという立場に立って静かに話してくれました。

「是非、日本人の神父さんに話したかったのですが、このわたしの頬の傷のこと、そして、戦争によって民族に負わせた傷は、多くの愛の実践によって癒されることです。また、 真の平和は、国家のリーダーとか、外交官たちによって実現するのではなく、ごく普通の人たち、事実、わたしたちに援助金を定期的にくださっているのは、金持ちの日本人ではなく、小さなお店の主人とか、ごく普通のサラリーマンたちですよ。まさにこの人たちの愛の実践が平和を築きあげているのです」と。