年間第 14 主日・C 年(2013.7.7)

「あなたがたの願う平和はその人にとどまる」

原子力平和利用という隠れ蓑

 原発時代の到来は、1953 年末にアメリカ大統領アイゼンハワーが、国連演説で“Atoms for Peace”「原子力平和利用」を、世界に向かって訴えたのが発端であります。ところで、この政策でアメリカ政府の真に目指したものは、同年 8 月に水爆実験で成功したソ連を牽制すると同時に、西側同盟諸国に核燃料と核エネルギーを提供することによって、アメリカの支配下に深く取り込むことにありました。

 ですから、日本もこの政策のターゲットにされ、原爆体験から核への反感が根強い日本に原発推進を本格的に促そうとしていた矢先、なんと 54 年に 3 月 1 日、ビキニ珊瑚礁におけるアメリカの水爆実験が決行されたのです。これは、ヒロシマを破壊した原子爆弾の 1000倍の威力で爆破し、日本のトロール魚船第五福竜丸の 32 人の乗組員が、被曝するという悲劇に終わりました。

 すでに、アメリカは戦後の日本においては、原子爆弾をめぐる議論が一切なされないように厳しい検閲を行っていたにもかかわらず、東京の主婦グループは、水素爆弾の全面的禁止を求める嘆願書に 3200 万人の署名を集めることに成功したのであります。この人数は、日本の全人口の三分の一に相当します。

 ですから、こうした日本人の反核感情の広まりに対抗するために、米国の国家安全保障会議は、アメリカが「戦争以外での原子力利用の積極攻勢」を行い、なんと日本に実験用原子炉建設を申し出ることを提案したのであります。そこで、原子力委員会のトマス・マレー委員は、この「ドラマティックなキリスト教的隣人愛のジェスチャー」を称賛し、それによって「我々は皆、大量虐殺の記憶を乗り越えることが出来る」と主張したのであります。しかも、彼は、極めて皮肉なことに、なんと、日本初の原子力発電所をヒロシマに建設することを提案したというのです。そして、まさに人間の愚かさをむき出しにしたのは、1955 年の初頭に、米国のイエーツ下院議員が、世界で初めて原爆を投下してからわずか 10 年足らずの町ヒロシマに、原発を建設するという法案を提出したというのです。

 とにかく、今日の国際舞台で語られている平和という概念がいかに欺瞞をはらんでいるか、我々は、冷めた目で見極めなければなりません。

 

聖書が語る平和の実現に向けて

 ところで、今日の三つの聖書朗読箇所のいずれにも「平和」という言葉が登場しています。

 すなわち、第一朗読では、神がエルサレムに「平和」をもたらす慰めの日が必ず到来することを予告し、喜び歌っています。

 次に、第二朗読では、「新しく創造された」ということを根本原理として生きている人たち、つまり、神のイスラエルの上に「平和」と憐れみがあるようにとパウロは祈っています。

 そして、パウロは、この人たちに「主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものは決してあってはなりません」と忠告しています。

 また、今日の福音は、イエスによって派遣された弟子たちは、宣教する町々に向かう途中、どこかの家に滞在するならば、まず、「この家に平和があるように」と祈ることを勧めています。なぜなら、真の平和は、神の国の到来によってもたらされる祝福にほかならないからです。

 ですから、聖書が語る「平和」は、今日の世界のリダー達が描いているような軍事力によって作り出すのではなく、あくまで神ご自身が与えてくださる恵みなのであります。

 事実、イエスが弟子たちと別れる際に、次のように念を押されました。

「わたしはあなたがたに平和を残す。

 わたしの平和を、あなたがたに与える。

 わたしは世が与えるように、これを与えるのではない」(ヨハネ 14.27)

 

 実に、キリストご自身こそ、わたしたちの平和である ところで、パウロは、その『エフェソの教会への手紙』の中で、平和について次のように極めて明快な説明をしています。

「実に、キリストご自身こそ、わたしたちの平和であり、互いに離れていた二つのものを一つにし、ご自分の肉において、人を隔てていた壁、すなわち、敵意を取り除き、・・・二つのものをご自分に結びつけることによって、一人の新しい人に造りあげ、平和を実現されました。すなわち、キリストは十字架によって、互いに離れていた二つのものを一つの体とし、神と和解させてくださいました。ご自身において敵意を根絶させられたのです。

 キリストは来られ、遠くの者であったあなた方に平和を、近くの者にも平和を、福音として告げ知らせました。実に、キリストを通してわたしたち両者は、一つの霊によって御父のもとへ近づくのです。」(エフェソの教会への手紙 2.14-18)

 かなり前の話になりますが、わたくしが韓国の教会を視察に行ったときのことです。たしか、仁川の共同体を訪問し、現地の信者さんと祈りの集いを持ちました。そこで、二十人足らの小さなグループで祈りの分かち合いがあり、一人の年輩の女性信者が、ご自分の体験を静かに話してくれました。

「わたしにとって日本は、今日まで確かに近くて遠い国でした。けれども、今回このように日本人の神父さんと一緒に祈ったことによって、わたしの心に残っていた韓国人と日本人を隔てていた厚い壁が崩れてしまいました。まさにキリストが、お互いを一つに結びつけてくださったのです。神に感謝!」

 また、ソウルの郊外にある共同体と集会を開いときです。36 年にわたる日本の植民地としての体験のない世代の男性信者が、突然立ち上がり、わたしに向かってハングル語で話しかけてくれました。そばにおられた韓国人司祭が、次のように同時通訳をしてくれました。

「わたしは戦後生まれの戦後育ちですが、韓国が日本の植民地としてさんざん虐げられたことは、親から詳しく何回も聞かされました。ですから、日本人に対しては、憎しみの感情が芽生えていました。けれども、今日、こうして直接、日本人しかも日本人の神父さんに直接会って話し合うことができたので、わたしの日本人に対する気持ちがすっかり変わってしまいました。」

 キリストは、今日もわたしたちを派遣するとき、次のようなおことばをくださいます。

 「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。」