仙台教区「平和を求めるミサ」(2021.8.8元寺小路司教座聖堂)

「敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい」

義の実は平和を実現する人たちによって平和のうちに蒔かれる(使徒ヤコブ3.18参照)

  本日は、日本カトリック平和旬間にちなんで、仙台教区内のすべての教会において、「平和を求めるミサ」をささげます。

 ちなみにこの日本カトリック平和旬間ですが、丁度40年まえの1981年の2月、初めて訪日された聖ヨハネ・パウロ二世教皇が、2月25日、広島平和記念公園で、九か国語で、全世界に向けて「ヒロシマ平和アピール」を、次のように精力的に呼びかけられました。

「本日(ほんじつ)、わたしは深い思いに駆られ、『平和の巡礼者』として、この地に参り強烈な感動を覚えています。わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去を振り返ることは将来に対する責任を担(にな)うことだ、という強い確信をいだいているからです。」と。

 この強烈なアピールを、真剣に受け止めた日本カトリック司教団は、1982年の司教協議会定例総会で、8月6日から15日までを日本カトリック平和旬間とすることに決定しました。

 さらに、二年前の11月、教皇フランシスコは、38年ぶりの二度目の教皇訪日の大役を精力的に果たされました。

 その二日目の11月24日、教皇フランシスコは、広島平和記念公園での、平和のための集いで、次のように、強調なさいました。

「確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代においては、これまで以上に犯罪とされます。人類とその尊厳に反するだけでなく、私たちの共通の家(地球)の未来におけるあらゆる可能性に反する犯罪です。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反します。」と。

 ちなみに、先ほど朗読された使徒ヤコブの手紙3章からの抜粋ですが、恐らく、匿名(とくめい)の著者が、エルサレム教会とユダヤ人キリスト者たちの指導者だった使徒ヤコブの死後、彼を名目上(めいもくじょう)の著者として、パレスティナ以外の地に住むキリスト者たちに宛てた手紙と考えられます。

 特に、今日の朗読箇所の最後の「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。」というくだりですが、神から与えられる知恵を実践することによって、つまり、平和を実現する神の子たち(マタイ5.9参照)によって、正義の実りである平和が実現するというのであります。

 ちなみに、使徒パウロは、エフェソの教会への手紙において、キリスト自身こそが、わたしたちの平和であることを、次のように力強く宣言しています。

「実に、キリストご自身こそ、わたしたちの平和であり、互いに離れていたものを一つにし、ご自分の肉において、人を隔てていた壁、すなわち敵意を取り除き、・・・二つのものをご自分に結び付けることによって、一人の新しい人を造りあげ、平和を実現されました。」(エフェソ2.14-15参照)と。

   以前、韓国の教会を訪問する機会が与えられたとき、地元の信者さんたちと祈りとみ言葉の分かち合いのひと時が与えられました。その席上、年配のご婦人(36年間、大日本帝国が朝鮮を植民地として虐げた時代の体験者)が、「今日(きょう)、このように日本人の神父さんと一緒に祈ることによって、わたしの心の中にあった韓国と近くて遠い日本との問にあった隔ての壁は、みごとにキリストによって崩されました。神に感謝。」と、率直に分かち合ってくれました。

 

あなた方の天の父が完全であられるように あなた方も完全な者となりなさい(ルカ6.36参照)

 さて、今日の福音ですが、マタイ福音記者が伝えるイエスの山上の説教の前半の締めくくりの箇所です。まさに、真(まこと)の平和を実現させるための根本原理を、強調していると言えましょう。

 ちなみに、インドのマハトマ(偉大な魂)ガンディーが、イギリス留学時代、たまたま、この山上の説教を読んだときのことを、彼の親友ドウクに次のように語ったと言うのです。

「本当にわたしを、受動的抵抗の正しさとその価値に目覚めさせてくれたのは『新約聖書』でした。たとえば、『悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。・・・敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。』と言った御言葉(みことば)を読んで、わたしは嬉しくてたまりませんでした。」と。つまり彼が構築した「非暴力・不服従運動」の根本原理を、イエスのお言葉によって完成したと言うのであります。

 ですから、全く武力を使うことなく、英国からインドを見事に独立させたのではないでしょうか。

 ちなみに、教皇フランシスコは、軍事力に頼らないまことの平和建設を、長崎の爆心地公園で、11月24日、次のように熱をこめて訴えられました。

「国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や破滅を土台とした、どんな企てとも相容れないものです。むしろ、現在と未来の人類家族全体が、相互依存と共同責任とによって築く未来に奉仕する、連帯と協調の世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

 この地、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結果をもたらすことの証人であるこの町では、軍備拡張競争に反対する声を上げる努力がつねに必要です。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。・・・

 核兵器から解放された平和な世界、それは、あらゆる場所で、数えきれないほどの人が熱望していることです。・・・核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなければなりません。それは、今日の世界を覆う不信の風潮を打ち破る相互の信頼によって築く、困難ながらも堅固(けんご)な構造に支えられるものです。」と。

 ちなみに、今年の1月22に日に、核兵器の使用や保有を全面禁止する核兵器禁止条約がようやく発効しました。しかしながら、核保有国やアメリカの「核の傘」の下(もと)にある日本はこの条約には参加していません。

 ですから、7月中旬、日本原水爆被爆者団体協議会代表委員の田中てるみ(89)さんは、「唯一の戦争被爆国と言いながら核兵器禁止条約に批准(ひじゅん)できない。情けない、不見識(ふけんしき)だと私は思います。」と穏やかに口調で怒りをにじませました。とにかく、1月の条約発効を受けて、日本政府に条約への参加を迫るため、市民に協力を呼び掛ける署名運動を始められました。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で街頭に立てなくなりましたが、ただ、このコロナ禍がいとも簡単に国境をまたいで広がっていったことで、「国同士の対立が、いかに意味がないかに気づくきっかけになり得る」と、光を見いだされました。

 実に、イエスは山上の説教で厳かに宣言なさいました。

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」と。

 わたしたちも、このミサでいただく霊的な力によって、今年の日本カトリック平和旬間にちなんで、平和構築に向けて何か具体的行動を起こすことができるように共に祈りましょう。

 

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