年間第15主日・A年(2014.7.13)

「信仰は聞くことによって初めて芽生える」


マリアの信仰の生き方に倣う

 今日の聖書朗読のテーマは、みことばを信仰によって受け止めることの大切さと言えましょう。

したがって、聖書の別な箇所からも、神のことばに聞き従うという貴重な体験を、少し振り返ったみたいと思います。

 まず、筆頭に上げられるのは、いうまでもなく聖母マリアの信仰体験であります。

 実は、聖書において、聖母マリアが最初に登場するのは、天使ガブリエルのお告げの場面であります。天使の突然の特別な挨拶に、戸惑い、すっかり考え込んでしまった乙女マリアに、天使は優しく語りかけます。

「『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・神にできないことは何一つない。』マリアは言った。

『わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように。』」(ルカ1.35-38)

   人間的な思いで、最初は戸惑ったのですが、天使のていねいな説明を聞き、神のおっしゃとことに徹底して従ったことこそが、マリアの生涯において一貫して貫いた信仰の生き方にほかなりません。

 ですから、マリアが、親類のエリザベトを訪問したときに、エリザベトは、マリアに最高の褒め言葉で答えることができたのではないでしょうか。

「あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃたことは、必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(同上 1.44-45)

  さらに、もう一つ別な場面でのマリアの神のことばの受け止め方を見て見ましょう。特に羊飼いたちのとった行動と比較したいと思います。

「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼葉桶に寝かせている乳飲み子ちのみごを探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らせていた。」(同上 2.15-19)

  ここで、三通りのみことばの受け止め方について注目したいと思います。

 まず、羊飼いたちの反応です。天使からいただいたみことばに従って、早速行動に移りました。つまり、飼葉桶に寝かされていた幼子イエスの発見であります。しかも、時を移さずみことばを、人々に知らせたのです。極めて行動的な、みことばの受け止め方にほかなりません。

 次に、羊飼いたちからみことばを聞かされた人たちですが、だた、その話しを不思議に思っただけで何も起こりませんでした。

 ところが、マリアは、「これらの出来事を(みことば)を、すべて心に納めて、思い巡らしていた」のであります。

 ちなみに、この箇所で言われている「出来事」ですが、ギリシャ語では、「ことば」をも表す「レーマ」が使われています。つまり、ギリシャ語では、「出来事」と、出来事を引き起こす「ことば」とが切り離せないということではないでしょうか。

 ですから、今日の第一朗読が意味軸も強調しているように、神が語られたことばは、必ず出来事になるというのが、聖書における「みことば」なのであります。

「そのように、わたしの口から出ることばも

むなしくは、わたしのもとにもどらない。

それは、わたしの望むことを成し遂げ 

わたしが与えた使命を必ず果たす。」

 

立派な善い心でみことばを聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ

 実は、今日の福音の朗読で、割愛した後半ですが、極めて具体的にみことばの受け止め方によって、全く異なる結果になることを見事に説明しています。

「だれでも御国(みくに)のことばを聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、みことばを聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、みことばのために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。

 茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞くが、世の思い煩いや富の誘惑がみことばを覆いふさいで、実らない人である。

(最後の節は、ルカの並行箇所を引用します)

良い土地に落ちたのは、立派な善い心でみことばを聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。(ルカ 8.15)」

  さて、はたして自分のみことばの聞き方は、どのような態度なのか、「道端に蒔かれたもの」なのか、あるいは「石だらけの所」なのか、または、「茨」でおおわれているのか、とにかく、日々、いのちのみことばによって養われなければ、信仰は遅かれ早かれしぼんでしまいます。

 ところで、旧約時代の偉大な預言者エレミヤは、自分のみことば体験を次のように感動的に告白しています。

「あなたのみことばが見出されたとき

 わたしはそれをむさぼり食べました。

 あなたのみことばは、わたしのものとなり

 わたしの心は喜び躍りました。」(エレミヤ 15.16)

 最後に、ペトロと共に、イエスのいのちのおことばに対する信仰告白をしたいと思います。

「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。

 あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます。」(ヨハネ 6.68)