「マリアはこれらの出来事を心の納めて 思い巡らしていた」
まず初めに、本日の「神の母聖マリアの祭日」にちなんで、第二バチカン公会議の「教会憲章」(66項参照)によって、マリア崇敬の神学的根拠について次のように教えていることを確認してみましょう。
「神の恵みによって、キリストの諸神秘にかかわった神の最も聖なる母として、御子(おんこ)に次いですべての天使と人間の上に高められたマリアが、特別な崇敬をもって教会からたたえられるのは当然である。確かに、聖なる処女(おとめ)は、最古の時代から『神の母』という称号のもとに敬われ、信者たちはあらゆる危険と必要に応じて、その保護を求めつつ、そのもとに避難して来た。」(66項参照)と。
また、本日は「世界平和の日」として定められているので、教皇フランシスコは、昨年の12月8日の日付で、全世界に向けて第55回「世界平和の日」教皇メッセージを、お出しになりましたので、ミサの聖書朗読に基づくいつもの説教に代えて、このメッセージのさわりの箇所を、朗読致します。
「『いかに美しいことか、山々を行き巡り、よい知らせを伝える者の足は』(イザヤ2.7参照)
この預言者イザヤの預言が描くのは、暴力と虐げに疲れ果て、侮辱を受け、死にさらされていた捕囚の民の大きな慰め、安堵のため息に他なりません…
とにかく、このイスラエルの民にとって平和の使者の到来は、歴史の瓦礫(がれき)の中からの復活の希望であり、明るい未来の始まりでした。
平和の道―聖パウロ六世はこれに全人的発展という新しい名をつけましたーは、残念ながら今日(こんにち)でも、多くの人々の実生活、ひいては、今や完全に相互が結びついた人類家族の現実からは、ほど遠いところにあります。国家間の建設的な対話を目指す多くの努力にもかかわらず、・・・一方(いっぽう)で、パンデミック級の病気の数々が発生し、気候変動と環境悪化の影響は深刻化し、飢餓(きが)と水不足の悲劇は激化し、連帯による分かち合いよりも個人主義に根差す経済モデルの優勢が続いています。・・・
いつの時代でも、平和は天から授かるものであると同時に、共同で担った責務の実りでもあります。確かに、さまざまな社会制度が関与する平和の「構築」があり、一人ひとりが個人として携わる平和の「手仕事」があります。より平和な世界を築くために、すべての人が力を合わせるべきです。それぞれの心において、そして家族の関係、社会での関係、環境との関係から、民族間や国家間の関係にいたるまでです。
ここで、恒久的平和を築くための三つの道を示しましょう。
まずは、世代間対話で、これは共通の計画を実現するための基盤です。
第二は、教育で、これは自由と責任と発展のための条件であります。
最後は仕事に就くことで、これは人間の尊厳を完全に実現することに他なりません。
次に、平和を築くための世代間対話についてですが、誠実な対話にはいずれも、適切な前向きな話し方があればいいわけではなく、常に、対話者間の基本的信頼関係が必要です。まず、この相互の信頼関係を取り戻さなければなりません。
ところが、現在の健康危機は、すべての人の孤独感と内向性を強めているのではないでしょうか。
たとえば、高齢者の孤独に次いで、若者たちの無気力や、未来に対する共通のビジョンの欠如(けつじょ)などです。これらの危機は確かにつらいものですが、それらの中にこそ、人間の善い部分が見えてくることもあります。事実、パンデミックの渦中(かちゅう)にわたしたちは、世界中で、思いやりや協力や連帯という寛大さの模範を目の当たりにしました。
また、対話とは、互いに耳を傾け、向き合い、納得し合い、共に歩むことです。そのすべてを世代間で促進していくことが、永続的に共有できる平和の種を育てるために、紛争や排斥(はいせき)という硬く不毛な土壌を耕すことになるのではないでしょうか。
テクノロジーと経済の発展は、世代間に分断を生みがちですが、現代の危機は、世代間が緊急に手を結ばなければならないことを示しています。つまり、若者にはお年寄りの人生経験、知恵、霊的経験が必要であり、一方、老人は若者からの支援や愛情、彼らの創造性や活力を必要としています。・・・
たとえどんな困難があっても、この世代間の対話が実践できれば、わたしたちは、今という時にしっかりと根を張ることができるでしょうし、その場所から、過去や未来へ行き来するでしょう。
歴史から学ぶため、なおもときどき枷(かせ)となる傷を癒すために足しげく過去へ通い、熱き思いを焚きつけるために、夢を膨らませるため、預言を招くため、希望を花開かせるため、未来へとまめに通います。そのように過去と未来が互いに結ばれて、わたしたちはお互いに学ぶことができるのです。
たとえば、わたしたちが共に暮らす家・地球を大切にする、この問題に取り組めばよいのです。事実、地球環境はまさしく「あらゆる世代に貸し付けられれているのであって、いずれ次世代へと手渡さなければなりません。」
ですから、より正義にかなう世界を目指し努力し、世話をするようわたしたちに委(ゆだ)ねられている被造物の保護に高まる意識をもつ多くの若者を、わたしたちは褒め、励まさなければなりません。彼らは、緊急の方向転換に直面し、懸念と熱意、そして何よりも責任感をもってそれを行っています。・・・
一方(いっぽう)、平和への道を共に築くためには、世代間対話にとって恵まれた場であり環境となる、教育と仕事に就くことを無視することはできません。
最後に平和の原動力としての教育と養成について考えてみましょう。
実は、近年、教育と養成のための予算は、投資ではなく費用とみなされ、世界的に大幅に削減されているのが現状です。とにかく教育と養成は、まさに全人的発達の第一の場ではないですか。すなわち、人間をより自由で責任のある者にし、平和を守り推進させるために不可欠のものではありませんか。つまり、教育と養成は、希望、富、進歩を生み出すことができる、まとまりのある市民社会の礎(いしずえ)ではないでしょうか。
ところが、一方(いっぽう)では軍事費はますます増大し、「冷戦」終結時に記録された規模をはるかに超えており、今後もますます無制限に膨張していくのではないですか。
ですから、政治責任を担う者たちが、教育への公共投資と軍事費との比率を逆転させる経済政策を策定することは、まさに時宜(じぎ)にかなうことであり緊急に必要であります。したがって、他方で、多国間軍縮のための現実的な手順の追求は、民族と国民の発展に多大な恩恵をもたらすだけでなく、保健医療、学校、インフラ、国土保全などに、より適切に充当させる財源の確保につながるのです。
わたしは、教育への投資には、ケアの文化を促進する確固たる取り組みが付随していることを期待しています。
また、さらに仕事に就くことは、それぞれの社会において、正義と連帯を築く基礎となるものです。生産年齢にあるすべての人が、それぞれの仕事によって家庭や社会生活に貢献できるように、わたしたちは知恵と努力を結集して、条件を整え、解決策を編み出さなければなりません。・・・」と。
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